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日本の城郭
408
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荷主研究者
:2020/03/14(土) 20:27:19
https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20200224/CK2020022402000016.html
2020年2月24日 中日新聞
景観と利便、どう両立 松坂城跡、石段舗装や手すり整備検討
石段の舗装や手すりの整備が検討されている松坂城跡=松阪市で
安土桃山から江戸時代にかけて軍事や行政の拠点だった松阪市の国史跡「松坂城跡」。築城から四百年以上がたつ史跡で、石段の段差を小さくする舗装や手すりの整備が検討されている。映画の撮影地にもなり多くの人が訪れる一方で、高齢者を中心に「石段が高く登りづらい」という声が出ている。史跡の「保存」と「活用」が全国で注目される中、市にも難しい判断が求められている。
「景観的にも十分配慮した石段が必要」。昨年六月に市教育委員会事務局で開かれた整備検討委員会。市が路面舗装や手すりの整備を盛り込んだ園路整備案を示すと、委員を務める専門家や地元関係者らから、歴史的価値を有する「城」と誰もが利用できる「公園」の両面のバランスを求める意見が多く出された。
古い歴史があり、城下町の面影を残す松坂城跡は一九五二(昭和二十七)年、県史跡に指定された。一方で、敷地が広く市民らが集う場所で、藤棚や野外劇場が設置されるなど、公園としての整備が優先された。
八九、九〇年度には本丸上段の発掘調査が行われ、やぐら跡の礎石や排水施設、金箔(きんぱく)の瓦など貴重な遺跡が見つかった。前後して、史跡保護の観点から八八年度から十六年間、石垣の修復が進められ、二〇一一年に国史跡になった。これらを踏まえ、市は翌一二年三月、大まかな保存管理計画を策定し、一六年三月には計画を基に具体的な「整備基本計画」を作った。
計画の園路整備案では、三十センチほどの大きな段差が目立つ二の丸から本丸上段までの石段十五段の舗装と、手すりや補足階段の設置が示されている。築城当時からの石段や、明治時代以降に修復された石段の舗装は、土や砂を主な材料にする「土系舗装」で行う。元々の土の色や質感を保ちながら段差を小さくする方法で、検討委でも理解を示す意見が多かった。
舗装されて手すりや補足階段も設置された石段のイメージ図=松阪市提供
一方、補足階段や手すりの設置には慎重な意見がある。検討委でも「階段はかなり景観に与える影響が大きいのでは」「全ての石段に手すりが必要なのか」と史跡の価値を損ねないか危惧する指摘があった。市の担当者は「松坂城跡は中心市街地にあり、松阪のシンボルにもなっている。だからこそ議論を深めていかなければならない」と話す。
検討事項は他にもある。車いすなどを乗せた福祉車両が安全に通れるように、進路の一部を拡張したり、舗装が荒い表門側の入り口付近を土色のアスファルト舗装にしたりする案も盛り込まれている。これらの整備案は詳細な発掘調査が必要で、先行きは不透明だ。
史跡のバリアフリー化は松坂城跡だけの課題ではない。名古屋市の名古屋城では、復元する木造天守でエレベーターの設置も検討されたが、市はそれを見送り、ロボットなど新たな昇降技術の開発で対応することを決めた。国際コンペで世界から新技術を公募するという。
委員長を務める奈良大の千田嘉博教授(城郭考古学)は昨年十月の検討委で補足階段や手すりの設置について「文化庁でも近年、バリアフリーの充実はうたっている。史跡にふさわしい部分と共存できるものとして、手だてを打つことは大いにあり得ること」と指摘した。勾配が急な場所は本丸付近だけではなく「全体的な計画を示し、そこで検討する必要がある」とも話した。
(冨田章午)
<松坂城跡> 戦国武将の蒲生氏郷(1556〜95年)が1585年に築城を始めた。標高40メートル近い丘陵にあり、天守が建設された「本丸」や御殿があった「二の丸」、やぐらが建てられた「きたい丸」などで構成されている。自然石をそのまま積み上げる「野面(のづら)積み」による築城当時の石垣が残っている。江戸時代、紀州藩領のうち勢州三領を治める役所が置かれていた。2006年に日本城郭協会の「日本百名城」に選ばれた。
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