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日本の城郭
40
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/05/30(水) 19:36:52
南砺に県内最高所の城跡 研究家・高岡さん(富山)発見
2007年05月30日 富山北日本
http://www.kitanippon.co.jp/contents/knpnews/20070530/5062.html
戦国時代に五箇山地方を拠点とした一向一揆勢力(真宗勢力)が、織田信長勢の進攻を防ぐために築いた城跡が二十九日までに、南砺市城端、利賀地域などにまたがる高清水(たかしょうず)山系の杉山山頂(一、一一〇メートル)で見つかった。黒部市の鋲ケ(びょうが)岳砦(八六一メートル)を上回り、県内で最高所の城となる。同山系の中腹部などではこれまでに中世の城跡五カ所が確認されており、山頂の城は五箇山の本拠と各城を結ぶ中継・連絡拠点だったとみられる。織田勢と対峙(じ)する一揆勢の防御態勢が明らかになり、五箇山の戦国史をひもとく貴重な史料となる。
長年、県内の中世城館を調査している城郭研究家の高岡徹さん(56)=富山市新屋、公務員=が昨年十一月、城端山岳会(中道伸雄会長)の協力を得て、現地で確認した。
城跡は、高清水山系の稜線(りょうせん)を縦走する山岳古道上にあり、大きさは南北約四十メートル、東西約二十五メートル。人工的な急斜面で守られた平らな部分があり、見張りの兵士らが詰めていたとみられる。平らな部分の南北両端には、敵の侵入を防ぐ深さ二−二・六メートルの堀の跡がある。
同山系西側の中腹部(六〇〇メートル付近)などでは、南砺の平野部と結ぶ山岳古道沿いなど五カ所で城跡が見つかっている。当時、織田勢が五箇山への進出をもくろんでおり、山頂の城は敵の監視をはじめ、本拠からの指示を各城に伝えたり、前線の城が陥落した際に撤収して立てこもる「詰めの城」の役割を果たしたとみられる。
高岡さんは「一揆勢は、山頂の城を拠点に交通・軍事上の要衝である山岳古道を押さえた防御態勢を取り、織田勢が平野部から五箇山に入るのを防いだのだろう」と推測する。
県史などの編さんにかかわり、越中の中世史に詳しい久保尚文さん=富山市堀川町=は「織田勢と一揆勢の高清水山系での対峙状況が浮き彫りになり、興味深い。千メートルを超える高所での城跡も全国的に珍しい」と話している。
◇風力発電施設は城跡避け建設へ
杉山山頂で城跡が見つかった南砺市の高清水山系では、民間業者による風力発電施設の建設計画があり、市は「今後、史跡保存や影響などについて業者と協議したい」としている。業者は城跡と重ならない場所で施設を建設する見通し。
計画はクリーンエナジーファクトリー(北海道根室市)が同山系の尾根約四キロに十三基の風車を設置するもので、三月定例南砺市議会で市は建設を支援する方針を示している。周辺に埋蔵文化財の未調査地域もあるため、詳細な建設地を決める際に協議する予定。
同社は今春から現地で環境影響評価調査を行っており、早ければ来年五月に国への事業申請を行う。
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