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日本の城郭
398
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荷主研究者
:2019/07/10(水) 22:55:42
https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20190621/CK2019062102000025.html
2019年6月21日 中日新聞
「浜松城二の丸」に迫る 旧元城小跡地を市が発掘調査
浜松城二の丸の発掘調査を始めた職員ら=浜松市中区の旧元城小跡地で
浜松市は二十日、浜松城二の丸があったとされる同市中区の旧元城小学校跡地で発掘調査を始めた。江戸時代を通じて浜松藩政の中心だったといい、市は、徳川家康が浜松城に居城していた頃の遺物が出てくる可能性があると期待する。
来年度以降の本格調査に向けた試験的な発掘で、二〇二〇年一月末までを予定する。対象は跡地約一万六千平方メートルのうち約三千平方メートルで、幅二メートルの溝を網目状に縦横にショベルカーで掘り進める。数十センチから一メートル超の深さまで掘る予定で、江戸時代の地層まで調べる。
市によると、二の丸には藩の政務を行い、藩主が日常生活を営む御殿があった。残された「二の丸御殿絵図」を見ると、御殿の北東側に台所、北西側に寝間があったことがうかがえる。
絵図と照合しながら調査を進める。市は一一年にも跡地の一部で試験的に調査し、徳川家康が浜松城を居城にしていた一五七〇〜八六年ごろに使われた可能性がある井戸跡を確認している。
旧元城小跡地は、明治時代は民家があり、戦後は小学校用地に整備されたとされる。二の丸のほか、浜松城本丸の石垣や堀があったとされる場所もある。市文化財課の担当者は「江戸時代よりもっと古い遺物や遺構が出土する可能性もある」と語る。
(篠塚辰徳)
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