[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
日本の城郭
373
:
荷主研究者
:2018/07/07(土) 23:43:25
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20180626/CK2018062602000036.html
2018年6月26日 中日新聞
土塁再確認へ発掘調査 深志城の謎、解明目指す
深志城を築いた島立貞永を祭る神社跡の若宮八幡(正面)=松本市丸の内で
国宝松本城(松本市丸の内)の南・西外堀復元事業で同市教育委員会は二十五日から、西外堀に面した二の丸の土塁確認に向けて発掘調査を始めた。土塁は城の周囲に設けられた防御用の盛り土で、三月の調査で確認した土塁下部に、同城の前身とされる深志城の土塁の可能性がある土層が見つかったため、今回の調査で再確認したい考え。十六世紀初めの戦国時代初期に築造されたとされる深志城については謎が多く、松本城のルーツ解明に期待が寄せられる。
市教委文化財課の竹内靖長課長補佐によると、今回の調査は九月末までの予定。二の丸西端に幅三メートル、長さ十メートル、深さ二・五メートルの試掘溝を掘り、土塁の位置と規模を確認する。また、今春の調査で課題となった深志城の土塁解明を目指す。
竹内課長補佐は「現場は前回調査の約十五メートル北なので、引き続き土塁は検出できるはず」と期待する。深志城時代の古い土塁については「十月からは今回よりさらに北へ三十メートルほど離れた地点に試掘溝を掘り、状況を確かめたい」と、意欲を見せた。
松本城管理事務所によると、戦国時代の松本は信濃守護の小笠原氏が統治した。同氏は井川の館(同市井川城)を拠点にしていたが、有事に備えて山城の林城(同市里山辺)に移り、林を中心に一族が守る城を各地に配置した。
深志城を造った島立貞永を祭る若宮八幡の古い社殿=松本市筑摩三才で
深志城はその一つで、島立貞永(しまだちさだなが)が一五〇四(永正元)年に造ったと伝えられる。しかし、五〇(天文十九)年に武田信玄が侵攻して深志城を拠点と定め、島立氏の城を拡充整備したとされる。しかし、信玄がどのように城を造り替えたかの記録はないという。
同事務所の後藤芳孝研究専門員は「深志城の遺構は何も残されておらず、謎に包まれている。古い土塁が確認されても、島立氏の時代か武田氏か、その後に整備されたものかを特定するのは難しい。ただ、近世松本城以前の城が、どのように築かれてきたかが見えてくる」と評価する。
同専門員によると、深志城の痕跡は松本城二の丸北西隅にある「若宮八幡」に残っている。深志城を造った島立貞永を松本城の守り神として祭った神社跡。一六七〇(寛文十)年に建て替えられ、古い社(国の重要文化財)は同市筑摩三才に移されて往
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板