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日本の城郭
365
:
荷主研究者
:2017/12/02(土) 20:17:38
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20171118/CK2017111802000053.html
2017年11月18日 中日新聞
国史跡指定・名勝範囲拡大で整備に弾み 犬山城跡と名古屋城二之丸庭園
国宝の天守が立っている城山などが史跡に指定された犬山城
国の文化審議会の答申で、県内からは「犬山城跡」(犬山市)の史跡指定と、名勝「名古屋城二之丸庭園」(名古屋市中区)の指定範囲拡大が盛り込まれた。
犬山城は天守が一九三五(昭和十)年に国宝に指定されたが、その他の城跡は文化財ではなかった。史跡指定によって国の補助を有利に受けられ、城山の整備を進めていく。
山田拓郎市長は「史跡化をその先の展開の足掛かりにしたい。時間はかかるだろうが、堀や門、やぐらなどを復元し、元の犬山城の姿に戻して未来に手渡したい」と話した。
天守などを所有する公益財団法人「犬山城白帝文庫」理事長で城主末裔(まつえい)の成瀬淳子さんは「長く城を守ってきた成瀬家にとっても慶事。指定をきっかけにみんなの城という意識が一層高まってほしい」と話した。
犬山城は、戦国時代の一五三七(天文六年)の築城と伝わるが、確実な史料はない。現存する天守で最も古い形式を持ち、元は二階建てだったが、いずれかの時代に望楼(三、四階)を載せた現在の姿になった。
一六一七(元和三)年に二代将軍の徳川秀忠が尾張藩付家老・成瀬正成を城主とし、成瀬家が代々城を守った。明治以後も成瀬家が二〇〇四年まで個人所有し、市が管理してきた。
年間入場者は昨年、過去最多の五十四万人。ここ十数年で二・五倍となり、入場料の一部を市の特別会計に積み立てて修理費などに充てている。
名古屋城二之丸庭園は、初代尾張藩主・徳川義直が居館としていた二之丸御殿の北側に造営。大規模な大名庭園の遺構として芸術的、学術的価値が高いとされ、一九五三(昭和二十八)年、国の名勝に指定された。
指定済みの五千百平方メートルに加え、東庭園や南池、御茶屋跡など二万五千三百平方メートルを追加し、指定範囲は計三万四百平方メートルとなる。
二之丸の一角にある県体育館は二〇二六年までに名城公園北園(名古屋市北区)へ移転することが決まっており、二之丸を含めた名古屋城の再整備にも弾みがつきそうだ。
(三田村泰和、梅田歳晴)
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