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日本の城郭
325
:
荷主研究者
:2015/07/04(土) 23:06:12
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20150618000193
2015年06月18日 23時25分 京都新聞
秀吉「幻の伏見城」石垣、中心部を初確認 自然石、聚楽第と酷似
://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/20150618232318fusimi.jpg
南北36メートルにわたって出土した石垣(左)と堀の跡=18日午後2時40分、京都市伏見区桃山町泰長老
民間発掘調査会社の京都平安文化財(京都市伏見区)は18日、豊臣秀吉が造営した伏見城の初期段階にあたる指月(しげつ)城とみられる石垣と堀が、伏見区桃山町泰長老の調査で見つかったと発表した。城の中心部が確認されたのは初めてで、「幻の城」とされてきた指月城の存在をより確実にする貴重な遺構となる。
伏見城の造営は複数段階に分かれており、指月城は秀吉が隠居所として1592年から巨椋池を望む指月の丘に建立、徐々に天守を備えた城として整備拡張した。だが、96年の慶長大地震で倒壊したため、北東の木幡山に移転した。
今回の調査地は、文献などから指月城の中心部と推定されていた観月橋団地の中央付近。城中心部西側の石垣とみられ、南北約36メートル分にわたって見つかった。加工していない自然石がほとんどで2、3段分が残っていた。洛中の聚楽第(じゅらくだい)跡で確認された石垣と様式が酷似している。石垣に沿って幅5〜7メートルの堀も確認された。
過去に調査地北西部で部分的に石垣が確認された例はあったが、中心部の遺構はなかった。城を彩った金箔(きんぱく)瓦も大量に見つかり、文献でうかがうしかなかった壮麗な秀吉の指月城の姿が想像できる。
滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「点だった指月城が面として分かった大きな成果だ。屋敷のような方形タイプと推定できる。軍事と政治の二面性がみられ、しっかりした造りで防御の意識も高かったようだ」とみている。
現地説明会は20日午後1時半〜3時半。観月橋団地の中にある。駐車、駐輪場はない。当日のみ現地携帯電話090(5670)5195。
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