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日本の城郭

322荷主研究者:2015/04/05(日) 20:35:30

http://yamagata-np.jp/news/201503/21/kj_2015032100484.php
2015年03月21日11:17 山形新聞
山形城二ノ丸隅櫓石垣を復元 きょう公開、城門より古い技術で築造

復元された坤櫓の石垣。下部は従来の石垣を生かし、築造当初の姿を再現した=山形市・霞城公園

 山形市の霞城公園内にある山形城跡で、市が復元工事を進めてきた二ノ丸隅櫓(すみやぐら)の石垣が完成した。事前の発掘調査によって、隅櫓の石垣はもともと、現存する城門の石垣よりも古い技術で築造されたことが分かっている。市は21日に一般公開し、隅櫓と城門の石垣の違いなどについて解説する。

 山形城は本丸、二ノ丸、三ノ丸から成る平城で、二ノ丸から内側が霞城公園となっている。今回復元したのは、二ノ丸土塁の4隅にある櫓の一つで、南西角の「坤(ひつじさる)櫓」の石垣。園路整備に伴う発掘調査で地中から石垣の跡が見つかり、江戸時代の絵図などに基づき、昨年秋から復元工事を進めていた。

 完成した石垣は、最も高い部分で地面から約2.5メートル。櫓が建っていた上の平らな部分は約10メートル×約7メートルの広さがあり、4段の石段を備えている。鳥居氏が城主だった1622(元和8)〜36(寛永13)年の築造とみられるが、はっきりしない。二ノ丸の東西南北4カ所に現存する城門の石垣にはより高い加工技術が用いられ、築造時期や施工集団の違いがうかがわれる。

 櫓は江戸時代を通じて補修が重ねられ、古い瓦を石垣の周辺に捨てて土を盛る作業が繰り返された。このため、石垣は最大約1メートルの高さまで土で覆われたとみられる。さらに、地上に残っていた部分や櫓も明治時代に壊された。復元工事では地中に埋まっていた石垣の上に新たに石を積み、築造当初の姿をよみがえらせた。櫓の復元予定はない。

 一般公開は午前10時半〜正午に行い、普段は周辺を囲っているフェンスを外し、近くで見学できるようにする。参加無料。今月中に完成検査を行い、正式公開する予定。保存のため、石垣の上に乗ることはできない。周辺の土塁上には約200メートルの園路を整備。ベンチを設けるなどして散策を楽しめるようにしている。


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