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日本の城郭

317荷主研究者:2014/12/31(水) 15:51:39

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20141227201.htm
2014年12月27日05時03分 北國新聞
富山城外堀は二段掘り 富山市埋文センターが初調査

発掘された富山城の外堀跡=富山市総曲輪4丁目

 富山市埋蔵文化財センターは26日、同市総曲輪4丁目の旧総曲輪小跡地で実施した発掘調査で、1661(寛文元)年に造られた富山城の外堀跡を確認したと発表した。底の構造が江戸時代の城郭では珍しい二段掘りになっており、深さは最大で5メートルあったことが分かった。富山城外堀の調査は今回が初めてで、同センターは「想像以上に外堀の規模が大きく、富山城の様子を知る上で貴重な資料になる」としている。

 今回発掘されたのは大手門西側の一部分で、長さ約66メートル、幅は22〜28メートル。西に向かうほど幅が広がっていた。堀の深さは最も浅い南側で約3・7メートル、北側で約5メートルあり、内部で段差が付けられていた。

 市埋蔵文化財センターの古川知明所長によると、段差のある堀は浅瀬で敵を安心させて深みに沈めるわなの一種で、戦国時代の城郭に見られる。古地図などから堀の北辺に高さ約5メートルの土塁が築かれていたことが分かっており、堀の底からの高さが約10メートルになる壁が城を守っていたと考えられるという。

 堀の底からは、周辺に住んだ下級武士らが捨てたとみられる越中瀬戸焼などの陶磁器や、仏事で使われる銅製の鶴亀燭台(しょくだい)などが出土した。井戸の水溜めに使われる直径30〜50センチの曲げ物2個も埋められ、上部の土に井戸を掘った痕跡がないことから、堀内大介主査学生員は「湧き水を堀に利用するために置かれた可能性がある」と推測している。

 旧総曲輪小の跡地には市医師会看護専門学校などが建設されることになっており、市埋蔵文化財センターが10月から発掘調査を進めていた。今後は土塁の基底部などを調査し、今年度中に埋め戻す予定となっている。

 富山市埋蔵文化財センターは27日午後1時半〜3時、発掘現場を一般公開する。参加無料で、調査担当者が成果を説明する。

 富山城の外堀 富山城三ノ丸を取り巻いていた堀で、南側にあった大手門の前から東西に走り、西端は平吹町付近、東端は総曲輪3丁目の旧富山西武付近に達していた。東西の端でほぼ直角に折れ曲がり、城の北に流れていた神通川(現在の松川)に向かって伸びていた。


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