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日本の城郭
297
:
とはずがたり
:2014/01/25(土) 16:52:56
細川高国以後廃絶したとも考えられる管領職であるが,その時代に,唯一の一次史料で確認できる管領代として幕政に大きな影響を与えたのが六角定頼である。(事実上の管領代として大内義興,茨木長隆,三好長慶等が挙げられるが史料的に管領代就任の記載は確認できないそうな。大内は家格的にも機能的にも管領代でいいと思うんだけど)
六角氏はしばしば幕府側に攻められてるけど,定頼の父高頼の時の義尚の遠征時には観音寺城を抛棄して甲賀の山中に逃げ込んでゲリラ戦に持ち込んで粘り勝ち(義尚病死で中止)した。
定頼の子及び孫の義賢・義治父子の代に観音寺騒動で城を追放となり以後廃絶したようである。
その間の定頼の時に六角氏は最盛期を迎え,足利将軍家,細川京兆家等と姻戚関係を結び,義晴に政治上の相談を受け,観音寺の城下町は楽市楽座が布かれ,更に桑実寺に京を逃れた将軍義晴が近江幕府を3年程開いており,一時的に首府の様相を呈していたようである。
隣の安土に信長が本拠地として築城し,更にその隣の近江八幡が秀吉の跡継ぎとして秀次が築城したが何れも天寿を全うせずに斃れこの地が都として遺憾なく本領を発揮しきれなかったのは多少残念である。
序でに云うと安土と近江八幡の合併が安土側の事情で一旦破談になり安土八幡市となる予定が結局近江八幡として吸収合併のような形で実現してしまったのもかなり残念である・・。
幻の観音寺城
http://www.azuchi-study.com/kannon2.htm
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