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日本の城郭

275荷主研究者:2013/08/17(土) 08:42:58

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20130807102.htm
2013年8月7日02時42分 北國新聞
二の丸御殿の変遷明らかに 幕末の「最新」絵図確認

最も新しい幕末のものと確認された二の丸御殿の絵図=金沢市立玉川図書館近世史料館

 石川県金沢城調査研究所は6日までに、歴代加賀藩主が居住・執務した「金沢城二の丸御殿」の幕末の絵図2点を特定した。これまで確認された中で、最も新しい時期の絵図で、火災などによる再建のため、たびたび姿を変えた二の丸御殿の変遷が明らかになった。二の丸御殿について、県は金沢城復元の仕上げとなる「究極の建物」としており、復元に向けた足掛かりとなる。

 1631(寛永8)年の大火後に創建された二の丸御殿の絵図は、これまで約70点が確認されている。今回、幕末の1850(嘉永3)年前後の絵図とされる4点を調査。県立図書館が所蔵する2点と金沢市立玉川図書館近世史料館の1点、金沢市内の個人が所有する1点で、それぞれの建物の特徴を比較した。

 金沢城調査研究所によると、県立図書館の2点はそれ以前の絵図と同じく、藩主が日常生活を送る御居間(おいま)の近くに土蔵が描かれており、御居間南側の一部は縁側がコの字形に出っ張った構造となっていた。

 一方、玉川図書館と個人の2点には土蔵が描かれておらず、御居間の縁側が真っすぐ延びる形に変化していた。明治に入って撮影された古写真では土蔵が確認できないことから、玉川図書館と個人蔵の絵図が、最も新しい時期の二の丸御殿の姿を伝えていると判断した。

 二の丸御殿については、谷本正憲知事が昨年2月の県議会定例会での答弁で、「大規模で複雑な御殿であり、史実に沿った復元には史料が十分ではないなどの課題がある」とし、絵図や文献の収集に取り組み、復元の可能性を探る考えを示している。

 金沢城調査研究所は、今回の調査で江戸前期から幕末に至るまでの二の丸御殿の変遷が体系化できたとし、木越隆三所長は「将来的な復元を検討する際の基礎史料が固まった」としている。

 金沢城二の丸御殿 1631(寛永8)年の大火を受け、それまで本丸にあった御殿を二の丸に移し、百万石の藩政の中枢を担った。宝暦、文化の2度の大火で焼け、そのたびに再建されたが、明治に焼失した。一部の遺構は城外に移築され、かつての能舞台は金沢市中村町の中村神社拝殿、表式台前の唐門は尾山神社東神門としてそれぞれ現存している。


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