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日本の城郭
262
:
荷主研究者
:2013/04/21(日) 14:48:29
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/351772
2013年3月8日10:06 西日本新聞
福岡城跡に土塀の柱穴 福岡市「全体の構造解明期待」
上之橋御門の修復工事で見つかった掘っ立て柱の跡(写真手前部分)=福岡市提供
福岡市が復元に向けて整備を進める国史跡の福岡城跡(中央区城内)から、土塀を支える掘っ立て柱の穴が見つかった。城跡には江戸時代の土塀や柱は残っておらず、その遺構が見つかったのは初めて。市は「福岡城全体の塀の構造を解明する上で貴重な資料となる。城の正確な復元に弾みがつく」と期待している。
市大規模史跡整備推進課によると、柱穴があったのは城の表玄関だった上之橋(かみのはし)御門。昨年7月から始めた門北側の石垣(高さ10メートル、幅28メートル、奥行き10メートル)の修復工事に伴い、表面の築石(つきいし)や背後の土などを約1・1メートル分取り除いたところ、柱穴が18カ所見つかった。
直径約1・3〜1・5メートル、深さは約1メートルで、等間隔で並んでいることなどから、柱の跡とほぼ断定した。修復工事に伴い、既に崩されており、市は写真や図面などの記録を保存している。
絵図や古写真では、福岡城には総延長3キロ以上の石垣があり、その一部には漆喰(しっくい)を塗られた高さ2メートル程度の土塀が上に築かれていたとされる。だが、土塀や柱は石垣と比べ構造がもろく、明治以降に解体や建て替えが進んだため、江戸期の塀は現存しておらず、福岡城復元の課題となっていた。
柱穴からは瓦などの遺物も見つかっており、同課は「今後、出土品の年代や文献資料を分析し、造られた年代や、土塀の構造の特定につなげたい」としている。
=2013/03/08付 西日本新聞朝刊=
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