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日本の城郭
246
:
荷主研究者
:2012/12/20(木) 01:01:39
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20121117401.htm
2012年11月17日03時04分 北國新聞
土清水塩硝蔵跡、国史跡に追加指定 「辰巳用水」に
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/HT20121117401.jpg
加賀藩が黒色火薬を製造していた土清水塩硝蔵跡の遺構=2007年10月、金沢市涌波町
国の文化審議会(宮田亮平会長)は16日、土清水塩硝蔵跡(つっちょうずえんしょうぐらあと)(金沢市大桑町など)を国史跡辰巳用水に追加指定し、名称を辰巳用水附(つけたり)土清水塩硝蔵跡に変更するよう田中真紀子文部科学相に答申した。土清水塩硝蔵は江戸時代を通して加賀藩が辰巳用水の水力を利用して黒色火薬を製造した全国最大級の火薬製造施設。歴史都市金沢の価値がさらに高まる。
土清水塩硝蔵跡は金沢城から南東約4.5キロの辰巳用水中流部に位置し、敷地面積は幕末時点で約11ヘクタールと想定されている。一帯は現在、宅地化が進んでいるため、追加指定地は約3.24ヘクタールで、2010年に国史跡に指定された辰巳用水を含め計約14.72ヘクタールとなる。
敷地の東側には辰巳用水が流れ、その水流を利用して水車を回して黒色火薬が製造された。操業期間は1658(万治元)年から1870(明治3)年ごろまでと考えられる。加賀藩領だった越中五箇山(現在の南砺市)で独自製法により生産された塩硝や、越中立山(現在の立山町)で採取された硫黄に、塩硝蔵内の施設で生産された木炭を加え、黒色火薬に加工された。
金沢市が2007〜10年に行った発掘調査で、塩硝蔵の建物や施設の遺構が良好に残存していることが判明。辰巳用水と強い関連性を持った文化財であり、国史跡に追加指定することで、保護に万全を期すこととした。
土清水塩硝蔵跡は軍事機密として謎に包まれていた藩政期の火薬製造に迫る全国でもまれな文化財といえる。山野之義金沢市長は国史跡指定を機に指定地の公有地化を積極的に進める方針で「市民とともに歴史遺産を生かしたまちづくりを推進したい」と強調した。
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