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日本の城郭
235
:
荷主研究者
:2012/11/18(日) 15:07:47
http://yamagata-np.jp/news/201210/27/kj_2012102700797.php
2012年10月27日15:51 山形新聞
山形城に天守閣造りたかった? 最上家の家紋描いた断面図に注目
山形城に天守閣を造る構想があった? 最上義光統治下の1605(慶長10)年に描かれ、義光に仕えた大工が所有していたとみられる1枚の天守閣断面図が今、注目を集めている。遺構や当時の絵図から、山形城に天守閣自体はなかったことが濃厚。だが、断面図には最上家の家紋が描き込まれており、造ろうという計画があったかもしれないというのだ。
研究しているのは県立米沢女子短期大の吉田歓教授(47)=日本古代史、米沢市=と東洋陶磁学会員の高橋拓さん(38)=南陽市。断面図は鶴岡市郷土資料館が所蔵し、縦横ともに3メートル超の大きなサイズ。庄内藩の大工棟梁(とうりょう)家に伝わった文書群の中に、義光に仕えた大工小沢若狭守光祐が集めていたとみられる資料群があり、断面図もこの中にあった。
断面図には10分の1程度に縮尺された5層の天守閣が描かれている。図中の説明から、作製したのは桜井越後守吉久で、慶長10年12月、小沢宛てに送ったものとみられる。桜井が何者かは不明だが、他にも小沢に宛てた建築技術に関する図面があり、最上家とは別の大名家に仕える大工と推測できるという。「(天守閣の)立断面図は、大体このようなもの」という内容の記述があり、桜井が小沢に請われ、一般的な天守閣の断面図を描いたとみられる。
最上層の破風(はふ=屋根の切妻に付いている装飾板)には最上家の紋章である菊と桐(きり)の紋が描き込まれ、丸瓦には、山形城跡から多く出土している丸瓦と同じ「山」という字が見える。吉田教授は「受け取った後で、小沢若狭守が書き入れたのではないか」と分析する。天守閣は軍事上重要な意味を持つ建造物。そうした機密情報に関わる図面を他の大名家から取り寄せたとみられることから「藩として天守閣造営に関するそれなりの決意があった、という推測もできるのでは」とも話す。
ただ、図面作製時期は関ケ原の戦い(慶長5年)の後。小沢がこの時期、個人的に建築技術全般をまとめる作業に取り組んでいることから、その一環とも考えられるという。結局は「現状では可能性が併存する。第3の資料を待つしかない」と吉田教授。「これまであまり人目に触れていない資料なので、たくさんの謎がある。情報を集めたい」としている。
トレース図の縮小版、県立博物館で展示
高橋さんが資料をデジタルカメラで分割撮影して作製したトレース図の縮小版が、県立博物館で開催中の企画展「出羽国成立一三〇〇年」(12月9日まで)で展示されている。
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