[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
日本の城郭
231
:
荷主研究者
:2012/10/28(日) 21:40:52
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/aomori/news/20120926-OYT8T00041.htm
2012年9月26日 読売新聞
弘前城石垣を大修理 16年度から
弘前城本丸の石垣修理に向けて、堀で進む調査作業
弘前市のシンボル・弘前城の本丸石垣が崩落する危険があるとして、同市は2015年夏に天守を移動させたうえで、16年度から本格的な修理を実施する方針を決めた。最長で10年ほどかかる可能性もあるが、弘前さくらまつりは修理期間中も開かれる。
市公園緑地課によると、石垣は本丸東面で最大約1メートルの膨らみがあり、このままでは崩落する恐れがある。07年度から測量を行い、08年度には専門家らによる弘前城跡本丸石垣修理委員会を設置し、検討を重ねてきた。今年8月に開かれた同委員会で石垣の修理範囲は、天守の下の南面から東面にかけた計約40メートル、東面の一部約60メートルと決まった。
さらに、現在約30センチ傾いている天守の補正も行うため、天守は15年夏、解体せずに曳家(ひきや)工法によって北西方向の本丸内に約70メートル移動させ、コンクリート製の土台に据える。移動は数か月かかる見込みで、その後は一般公開を再開する。
市は7月から石垣の状況を調べるため試掘調査を行っている。石垣が面する堀では、一部の水を抜き、石垣の基礎部分が堅固かどうかを調査。さらに石垣の内部の状況を確認しており、調査は10月末頃まで続けられる予定。
調査を基に、来年度は工事の実施設計をつくり、14年度に基礎工事を行う予定で、同課は、「石垣の下部や内部の詳細は、石垣を取り外してみないとわからない。状況が悪ければ、工事は10年がかりになる可能性もある」としている。
弘前城は江戸時代初期の1611年にほぼ完成し、2代藩主の津軽信枚が堀越城(弘前市堀越)から移った。現在の天守は1810年に完成した。
天守の下の石垣は明治時代の1896年に崩落しており、天守を移動したうえで、大正時代にかけて修理している。市公園緑地課によると、当時の修理資料はほとんど残っておらず、「残っていれば、今回の修理にも役立ち、修理期間を短縮できたかもしれない」としている。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板