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日本の城郭

228荷主研究者:2012/09/22(土) 18:37:54

http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13462455448962
2012年8月30日(木)茨城新聞
水戸城大手門、位置がほぼ判明 土塁から礎石跡発見

【写真説明】土塁から発見された礎石跡(中央の白線で囲まれている部分)=水戸市三の丸2丁目

 水戸市教委による水戸城大手門跡発掘調査で、大手門の位置と平面規模が29日までに、ほぼ判明した。同市三の丸2丁目の市立水戸二中敷地内の土塁から、大手門の礎石跡などが見つかり、6月の前回調査と合わせて門の四辺がおおむね確定。大手門は弘道館前の大手橋を渡った市道を横切る形で立ち、幅は約17メートル、奥行きが約5・4メートルで地表部分の面積は約91・8平方メートルとなる。市教委は「水戸城全体の歴史的価値の向上につながる」(文化課)としている。

 大手門は市道両側の土塁に接して立っており、20日に始まった今回の調査は弘道館から見て左側の水戸二中の土塁で実施。門の四隅の一角を示す礎石跡が見つかった。市教委によると、礎石は一辺の長さが少なくとも90センチを超していたと推測される。

 前回調査では、右側の茨城大付属小の土塁から一角を示す大きな礎石の一部を発掘済みで、市教委は今回見つかった礎石跡とは対であるとの見方を示す。この2点を結ぶ辺が門の幅に当たるとみられ、約17メートルあった。

 礎石跡と約5・4メートル離れた場所で、約40センチ四方の小形の礎石も発見。市教委はこの小形礎石が反対側の一角のすぐ近くにあったと推測、礎石跡との距離が門の奥行きに当たるとした。

 このほか、前回調査で判明した大手門が水戸藩9代藩主・徳川斉昭の時代に再建されていたことを裏付ける土塁の層も今回、見つかった。


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