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日本の城郭

225荷主研究者:2012/08/23(木) 23:49:58

http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1208090013/
2012年8月9日 神奈川新聞
全国的に珍しい、小田原城跡で「瓦積塀」の一部を立ったままの状態で発見/小田原

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御用米曲輪跡

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御用米曲輪で見つかった江戸期の瓦積塀(小田原市提供)

 小田原市はこのほど、2010年度から史跡発掘調査を進めている小田原城址公園(同市城内)の「御用米曲輪」で江戸時代中期以降に造られた「瓦積塀」の一部が見つかったと発表した。立ったままの状態で発見されるのは全国的にも珍しいという。同市は18日、市民見学会を開催して公開する予定。

 今回の調査地は、同公園内にある天守閣の北側、江戸幕府へ送る米を保管していた場所。当時の絵図に複数の米蔵が描かれており、管理が厳重な区域だったとされている。

 見つかった瓦積塀は2カ所。1カ所は長さ約2メートル、幅約0・9メートル、高さ約1・3メートル(最大)。内部に瓦が19段積み上げられた土塀になっている。実際の壁の長さは5メートル以上あったとみられる。

 もう1カ所は、同市根府川周辺で産出される平たい石(根府川石)の基礎部分と、積み上げられたと思われる瓦が確認された。

 約10メートル離れた両塀の前面には、約1・6メートル間隔で柱の跡、後面に石積みもある。瓦積塀は江戸期に起きた大地震で壊れた建物の瓦を再利用。強度が高いことから、屋根を設けて火薬庫などの建造物にした可能性があるという。

 小田原城の建造物は、明治時代に入り、ほぼすべて解体された。唯一残っていた二の丸平櫓も関東大震災で倒壊した。

 現在見られる瓦積塀としては、戦後造られた同市板橋の市郷土文化館別館「松永記念館」がある。

 市文化財課は「火薬庫とすれば、戦乱の時代が終わって利用は減った。斜面の土砂が崩れて埋もれても放置され、残ったのではないか」と推測している。

 広さ約1万8千平方メートルの御用米曲輪では、昨年度に戦国時代の障子堀跡が確認。今回も瓦積塀以外に、大規模な建造物(礎石建)跡が出ているなど、興味深い遺構の発見が相次いでいる。


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