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日本の城郭

222荷主研究者:2012/08/13(月) 23:16:17

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120716/CK2012071602000073.html
2012年7月16日 中日新聞
守れ飯田城趾 住民“のろし”

◆森町で保存会結成

約100年前に飯田青年会が建てた石碑=森町飯田の飯田城趾で

 築城は600年ほど前にさかのぼるという森町の「飯田城趾(じょうし)」の整備に、地元の住民らが乗り出した。徳川と武田の攻防の舞台にもなったとされる山城跡だが、現在は荒廃農地が広がるばかり。新東名高速道路の開通を機に、地域の文化遺産を後世に伝えようと6月、住民が保存会を結成した。

 飯田地区は新東名森掛川インターチェンジから直線で三キロほど。遠方からも訪れやすくなった上、城趾周辺の荒廃農地をクリ園に改植する動きがあることから、整備・保存への機運が高まった。

 人々の間には「地域のシンボルを守り、顕彰することで地元の振興につながる」「住民同士のつながりを深めたい」といった期待もある。保存会の結成には、土地所有者を含めて約百人が参加した。

 城の主郭付近には現在、百年前に地元の青年会が建てた二・五メートルほどの石碑がある。青年会は毎夏に草刈りや供養を続けているが、八年ほど前に地域の共同茶工場が解散すると、城趾にある茶園に手が入らず荒れ放題になった。

 今後の整備について、保存会は遺構にはできるだけ手を加えず、倒木や雑草を取り除き、桜やショウブを植えたり、駐車場を確保したりして、四季折々に散策が楽しめる場を目指す考え。歴代城主山内氏の菩提(ぼだい)寺で、城趾の一角に立つ崇信寺に資料館を造る構想もある。

 七月中にも町教育委員会の立ち会いで木を切り、遺構の状態を分かりやすくする。保存会の鈴木広一郎会長(63)は「観光化を目指そうという気持ちはない。城趾にはいい空気がある。疲れた現代人のよりどころになれば」と話している。

(袋井通信部・河野貴子)

 <飯田城趾> 室町時代の1400年ごろ、飯田山内氏の初代、道美(どうび)が築城したとされる。1500年代後半、遠州での覇権を争う徳川家康や武田信玄に攻められた。落城後の歴史は不明。発掘調査は行われていないが、実測を基に城の様子を示す縄張図が作られた。1978年、約1600平方メートルが町の指定文化財になった。


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