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日本の城郭
217
:
荷主研究者
:2012/07/01(日) 11:23:18
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13390746668253
2012年6月8日(金)茨城新聞
水戸城大手門、斉昭時代に再建か 市教委発掘調査、土塁から瓦と側溝
【写真説明】発掘調査で発見された側溝=水戸市三の丸2丁目の水戸城大手門跡
水戸市教育委員会による水戸城大手門跡の発掘調査で、大手門は何らかの理由で再建されていたことが、7日までに分かった。大手門は明治時代以降に取り壊されており、門跡の土塁から再建前の門に付いていたとみられる瓦などが出土。初代藩主徳川頼房の時代に造られた可能性のある側溝も見つかった。調査成果について、同教委文化課は「水戸城の歴史を推測するのに重要な情報が得られた」という。8日午後から、埋め戻し作業を行う予定。
調査箇所は、同市三の丸2丁目の茨城大付属小学校敷地内にある大手門跡の土塁。下部から側溝を発見するとともに、中ほどに瓦の層と白壁に使われたしっくいの層が見つかった。格式の高い水戸徳川家の三つ葉葵(あおい)の入った直径15センチの丸瓦も出土した。
この丸瓦は格式の高さから大手門以外の使用は考えられず、丸瓦が出土した土塁は大手門が取り壊された明治以降に再構築された可能性はないことなどが決め手となり、再建前の門のものと断定。同時に、9代藩主斉昭の時代のものとみられる茶わんのかけらも出土したことから、再建は斉昭時代と推測される。
県の文化財保護審議会会長で、日本近世史が専門の鈴木暎一茨城大名誉教授(73)は「水戸城の土塁はこれまで研究されていない。どのように出来たのか、造成過程が分かる。城全体の研究にも役立つ」と評価する。
側溝は幅40センチ、内径20センチで2代藩主光圀が整備した笠原水道と同一の地元産石材「神崎石」(凝灰質泥岩)が使われ、工法も同一。また、頼房の時代に城を大改修した記録が残っていることから、江戸初期に造られた可能性がある。
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