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日本の城郭

216荷主研究者:2012/05/27(日) 12:04:21

http://www.kahoku.co.jp/news/2012/05/20120506t55005.htm
2012年05月06日日曜日 河北新報
本拠地論争、本丸へ 米沢市教委、舘山城を今月から現地調査

 仙台藩祖伊達政宗(1567〜1636年)が米沢支配時代に本拠とした可能性のある舘山城について、米沢市教委は今月中旬から初めて本丸部分を含めたエリアの現地調査をする。現在の上杉神社の場所にあった平城の米沢城との「本拠地論争」を終結に導く新事実の発見が期待されている。

 市教委は2001年、舘山城北側から家臣団のものと推測される武家屋敷跡を発見した。これを受けて10年、舘山城一帯約28万平方メートルを対象に現地調査を開始。昨年、二の丸部分に当たる本丸東側の平地から、庭園や井戸などを有した屋敷跡を見つけた。伊達家の時代に城主級の武将が使ったとみられる。

 今回は主に(1)東側平地で昨年発見された大きな丸柱周辺にあると推定される大手門遺構の確認(2)東側平地につながる通路の特定など本丸の調査(3)北西部の川岸にある石垣を含めた未確定の敷地範囲認定−を進める。

 舘山城は、政宗の祖父晴宗が1548年に西山城(福島県桑折町)から米沢に拠点を移した際の主要な城だとされているが、不明な点が多かった。文献では(1)政宗の父輝宗が隠居先に使った(2)政宗が整備を進めていたが1591年に豊臣秀吉の命令で岩出山城(大崎市岩出山)に移る際に取り壊した−などの事実しか裏付けられていない。

 市教委は、二つの川に挟まれ、城下を一望できる丘陵に城が立地するという仙台城との酷似点に着眼。二の丸などの居館を周辺に配する構造は岩出山城とも共通しており、「今回、舘山城が仙台城の原形になったことを裏付けたい」(文化課)と考えている。

 2014年度まで現地調査を進め、15年度の国の史跡指定を目指す。将来的には一帯を伊達家の歴史を伝える公園として整備することも視野に入れている。

 安部三十郎市長は「調査を受け、上杉の前には伊達の歴史があった場所として米沢が広く認識されていくといい」と期待している。


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