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日本の城郭
208
:
荷主研究者
:2012/04/18(水) 01:12:49
http://kumanichi.com/news/local/main/20120305004.shtml
2012年03月05日 熊本日日新聞
熊本城の城門土台発見 加藤、細川時代の参道も
細川時代の櫓門の土台部分(右)について県教委文化課から説明を受ける地元住民ら。写真左が九州新幹線高架橋=熊本市
県教委は5日、県のJR鹿児島線連続立体交差事業に伴う熊本市新町・横手地区の埋蔵文化財調査で、細川時代の熊本城の城門の土台や、加藤、細川両時代の菩提[ぼだい]寺につながる参道などが見つかったことを明らかにした。
同調査検討委員長の甲元眞之・永青文庫研究センター長は「熊本城西側の全体構造が判明した。国民の共有財産」と評価。同検討委は、国の史跡に追加指定すべきとして2月末、県教委に意見書を提出している。
調査は、高麗門踏切〜下馬天神踏切の約200メートル区間で昨年7月から2期に分けて実施した。
県教委文化課によると、高麗門踏切そばには加藤清正が慶長3(1598)年ごろ、熊本城西方からの敵を防ぐため築いた高麗門があった。細川時代に櫓門に建て替えられたが、明治初期には解体されている。
同踏切北側で、櫓門の土台だった土が固められた跡(3×14メートル)を確認。門柱の礎石下の根固め石も発見された。細川家家紋が入った瓦や清正時代の慶長4年の瓦も見つかり、高麗門もほぼ同じ場所にあったとみられている。
また、両踏切区間では、土層断面に時期の異なる道路面も見つかった。加藤家の重臣らの菩提寺への参道を、後の細川家が拡張整備した跡と考えられている。
同調査区間は鹿児島線高架橋の建設予定地にかかっており、2013年度末に上下線とも高架に切り替わる計画。県鉄道高架推進室は「文化財をどう保護できるか、JRと協議し、対応を検討したい」と話している。
5日には地元住民ら約100人が参加し、現地調査報告会があった。(川崎浩平)
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