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日本の城郭
202
:
荷主研究者
:2012/03/04(日) 13:14:52
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120201/CK2012020102000118.html
2012年2月1日 中日新聞
松坂城の空堀確認 「原田二郎旧宅」の庭園
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012020102100058_size0.jpg
空堀と確認された発掘場所。手前の護岸から、奥の民家までの測量値が江戸時代の文献にある堀の幅とほぼ一致した=松阪市殿町で
松阪市教育委員会は31日、市指定文化財「原田二郎旧宅」(同市殿町)の庭園に、松坂城の空堀が存在したとする調査結果を発表した。この部分を含む170メートルの区間で、堀の位置が定説より東側に8・5メートルずれると推定され、城南東部の「搦手(からめて)口」の構造が変わる可能性が出てきた。
発掘調査は8〜9月に続いて2回目。前回の調査で見つかった堀の端から神道(じんどう)川に向かって2カ所で幅2メートル、長さ7・5〜8メートルを掘った。市文化財センターによると、深さ2・1メートルまで掘り進め、堀の護岸から、神道川対岸の周囲より少し高くなった民家までを測量すると18メートルだった。1647年ごろに作成された「勢州飯高郡ノ内松坂城町絵図下帳」にある堀幅(16・2メートル)や深さの記述とほぼ一致。今回の発掘結果が、江戸時代の文献で裏付けられことになる。
空堀は明治時代以降、3時期に分けて埋め立てられたと考えられており、周囲よりも土地が低い。隣接地も空堀の延長線上は低くなっていることから、同センターの木之本和之主幹(51)は「堀の位置が定説とずれていたのは間違いない」と指摘。「松坂城跡が国史跡となって研究を進める中で、有益なデータが得られた」と話した。
(戸川祐馬)
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