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日本の城郭
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荷主研究者
:2012/02/19(日) 01:12:17
http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20120119/CK2012011902000111.html
2012年1月19日 中日新聞
堀の形状など調査へ 松坂城跡、再度発掘
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2012011902100055_size0.jpg
前回の調査で、堀跡の存在が確認された原田二郎旧宅の庭園=2011年10月21日、松阪市殿町で
松阪市教育委員会は、市指定文化財「原田二郎旧宅」(同市殿町)の庭園で来週にも、再度発掘調査を始める。前回の調査では、国史跡・松坂城跡の堀が定説よりも城下町側にある可能性が指摘されており、今回の調査で、その部分の堀の形状など実態を明らかにする。
調査は、庭園内の石敷きを残し、昨年8〜9月の調査で掘った場所を拡幅、延長して実施する。市文化財センターによると、松坂城の堀の護岸は、一部が石垣や素掘りと分かっているが、全容はつかめていない。今回の調査で、護岸の様子や堀の深さなどを調べたい考えだ。
前回調査で、隣地との境界線を探る目的で庭園を掘ったところ、深く落ち込む場所を発見。ほか2カ所でも同様に深く掘られた跡が見つかり、城の堀跡と推定されるが、水が湧き出るなどして、底に達するまで掘れなかった。
堀は明治以降に徐々に埋め立てられたとされる。発掘により城下町の暮らしで使われた生活用品やおもちゃなどが見つかるとも期待される。
新たな堀跡は、江戸時代に徳川家光が全国の大名にまとめさせた「正保(しょうほう)城絵図」や明治初期の地籍図に書かれた堀の位置とは異なり、松坂城の堀の形が変わる可能性を秘めている。 (戸川祐馬)
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