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日本の城郭

193荷主研究者:2011/12/11(日) 15:29:28

http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004628204.shtml
2011/11/19 08:00 神戸新聞
姫路城大天守に幻の窓 「大修理」で8カ所発見

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/b_04628205.jpg
築城当初の計画を再現したイメージ写真(左上)と現在の大天守(提供写真を合成)

 姫路市は18日、「平成の大修理」中の世界文化遺産・国宝姫路城の大天守最上層で、四隅の壁の中から窓のかもいと敷居が新たに8カ所見つかったと発表した。最上層の全周が窓で囲まれる構造となり、市は「410年前の築城当初は、死角を作らず360度城下町を見渡す構想があったようだ」としている。計画は途中で変更され、完成時は塗り込められて壁になったとみられるが、大パノラマを展望する計画がなぜ変わったのかは謎だ。(田中陽一)

 現在の最上層は南北に各5カ所、東西に各3カ所の引き違いの窓(縦150センチ、横160センチ)が配置され、四隅は壁になっている。

 「平成の大修理」で土壁や板壁をはがしたところ、四隅の壁8面からそれぞれ横幅160センチの敷居とかもいが見つかった。溝の幅や深さが他の窓と同じで、部材も古いことから、築城時に設けられたと判断した。

 現在の姫路城は、西国守備を任された池田輝政が1601〜1609年にかけて築いた。築城着手の前年には「天下分け目」といわれた関ケ原の戦いが終わったが、不安定な情勢は続いていた。市の担当者は「防衛のために全方位が見えるようにした」と推測する一方、「来客に360度の眺望を見せ、力を示そうとする意図もあったのでは」とみる。

 築城のどの段階で、なぜ計画が変わったのかは不明だ。大天守には8万枚もの瓦が使用され、屋根は相当の重量になる。

 「柱だけで支えるには無理があると分かり、耐力壁を設けた可能性がある」とするのは、江戸期の建築に詳しい平井聖・昭和女子大特任教授(82)。実際、新たに敷居とかもいが見つかった壁には厚さ5〜6センチもの頑丈な板壁がくさびでがっちりと固められ、強度を高めていたという。

 姫路城大天守保存修理検討会会長の多淵敏樹・神戸大名誉教授(78)は「いまだに新しい謎や資料を提示してくれる姫路城は、日本の城郭建築にとって貴重な研究対象だ」と話している。


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