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日本の城郭
184
:
荷主研究者
:2011/11/13(日) 20:02:23
http://www.isenp.co.jp/news/20111018/news04.htm
2011/10/18(火)伊勢新聞
鳥羽城跡 天守西側から石組みの溝 22日に説明会
【雨水を受けるために作られた九鬼氏の遺構と考えられる石組みの溝=鳥羽市鳥羽3丁目の発掘現場で】
【鳥羽】鳥羽市教育委員会は十七日、七月から進めていた同市鳥羽三丁目の鳥羽城跡発掘調査について発表した。鳥羽城は水軍の将として豊臣秀吉に仕えた九鬼嘉隆が文禄三(一五九四)年に築城したとされ、天守台や本丸御殿の本格的な発掘調査は初めて。
城は明治四(一八七一)年に廃城し、跡地には昭和四(一九二九)年に鳥羽小学校が建てられるなど、城跡周辺は時代と共に様変わりしてきた。平成二十一年に鳥羽小学校が移転。今夏、城の中枢部に当たる天守台や本丸御殿の遺構確認のため、旧運動場を二百六十八平方メートルにわたり調査した。
天守台があったとされる場所は、表面から十センチのところで地山の岩盤が現れ、石垣の痕跡は確認できなかった。しかし、天守の西側には高い構造物から雨水を受けるために作られたと考えられる石組みの溝が二列確認できた。下層に当たる幅五十センチの溝では古い特徴の瓦も見つかり、発掘に当たった市教委の豊田祥三さんは「九鬼氏の時代の遺構と考えられる」という。
発掘現場からは、九鬼嘉隆の家紋瓦や九鬼氏の後に城主となった内藤氏の家紋瓦などが出土している。豊田さんは「今回、本丸の調査まではできなかったが、礎石など城の痕跡について継続的に調査を進めていきたい」と話していた。
市教委では二十二日、午前十時から市民らへの発掘現場説明会を予定している。無料。
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