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日本の城郭
182
:
荷主研究者
:2011/10/01(土) 16:15:49
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20110909/CK2011090902000129.html
2011年9月9日 中日新聞
光秀築いた城門か 聖衆来迎寺の表門
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2011090902100072_size0.jpg
解体修理前の聖衆来迎寺表門。木材に移築された跡があり、坂本城築城時の建築物であることが分かった=大津市比叡辻で
大津市比叡辻の聖衆来迎寺(しょうじゅうらいこうじ)表門(県指定文化財)が、戦国武将明智光秀が築いた坂本城(同市下阪本)の城門だった可能性が県教育委員会の調査で高まってきた。同教委は「築城時の坂本城の姿を残す唯一の建築物になる」として注目している。
同門は2009年11月から解体修理中。地域の言い伝えで坂本城の門を移築したとされてきたが、移築の経緯や建立年代を示す史料がなく、真偽は不明とされていた。
今回の調査で、材料の木材が城門の様式から加工され、直した跡があったほか、柱に付いたかんなの刃の跡が、坂本城で建築工事があった時期と重なり、移築されたことを示す“決め手”になったという。
坂本城は1571年から築城され、光秀が織田信長を討った本能寺の変後の戦乱で館に火が放たれるなどして荒廃し、現在は石垣が残る程度となっている。
城と寺との距離は1キロほどで、光秀と関係が深かった同寺が、何らかの目的で1586年ごろに移築したとみられる。
調査では、門の隣につくられた脇扉の高さが、修理前の168センチの半分に近い98センチだったことも分かった。通行の便利さよりも防御を重視した中世の建築様式の名残とみられ、今後の組み立て工事で元の高さに修復する。
県教委では、工事の現地見学会を10月2日の午前10時と午後2時からの2回、同寺で開き、職員がこれまでの調査内容を報告する。
問い合わせは県教委文化財保護課=電077(528)4673=へ。
(中尾吟)
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