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日本の城郭

180荷主研究者:2011/09/25(日) 15:03:28

http://kumanichi.com/news/local/main/20110831003shtml
2011年08月31日 熊本日日新聞
高麗門の遺構か 熊本市新町で埋蔵文化財調査

城下町を囲んでいたと考えられる堀の石垣を指さす県教委の担当者(中央)=熊本市新町

 熊本市新町に明治初期まであった高麗門跡で、県教委が埋蔵文化財事前調査を実施。31日までに門柱の基礎部分とみられる痕跡などが見つかった。遺構が高麗門である可能性もあり、地元まちづくり団体は「復元の足掛かりになる」と期待している。

 県教委などによると、高麗門は慶長3(1598)年、加藤清正が熊本城西方から城下町を守るために築いた櫓[やぐら]門。城下町への人の出入りを厳重に警戒する要の門で、高麗門踏切近くにあった。一説では2階建てで、幅約25メートル、奥行き約6メートルの大きさだったとされる。

 県のJR鹿児島線連続立体交差事業に伴い、同踏切東側約1キロ区間を7〜8月に試掘。その結果、門柱を据えたと思われる礎石下部の根固め石(直径約1メートル)が地中約40センチの深さで見つかった。

 大量の瓦や、城下町を囲んでいたと考えられる堀の石垣も確認された。石垣は3段積みで、判明分だけで約90メートルの長さがある。

 県教委は同日、現地で調査結果の報告会を開き、地元住民ら約40人が参加。県教委の担当者は「江戸時代の遺構かどうか調査を進め、歴史的、文化的な価値付けをしたい」と説明した。

 一新まちづくりの会の毛利秀士さん(69)は「高麗門の正確な場所を突き止める手掛かりとなり、新町が城域内にあった証明にもなる。城下町のシンボルとして門の復元を期待したい」と話した。(川崎浩平)


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