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日本の城郭

175荷主研究者:2011/07/10(日) 22:31:54

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110706t55013.htm
2011年07月06日水曜日 河北新報
伊達氏本拠論争に一石? 舘山城に新たな屋敷跡 米沢

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 山形県米沢市教委は5日までに、仙台藩祖伊達政宗(1567〜1636年)が米沢支配時代に本拠とした可能性のある舘山城跡の発掘調査で、当時、重臣以上の武将が使用したとみられる武家屋敷跡を発見した。「舘山城本拠説」を裏付ける新事実との見方もあり、現在の上杉神社の場所にあった平城の米沢城か、市西部の山城の舘山城か、という伊達氏本拠論争に一石を投じる可能性もある。

 関係者の話を総合すると、屋敷跡は本丸部分東側の二の丸に当たる川岸で見つかり、複数の柱穴や井戸、屋敷を囲む塀などの遺構、短刀が出土した。構造などを分析した結果、16世紀の伊達氏支配時代に、極めて身分の高い武将が暮らした可能性が高いという。

 従来、舘山城は関連史料が乏しく、(1)政宗の父輝宗が隠居先とした(2)政宗が有力大名に対抗するため軍備を整えたが、1591年に岩出山城(大崎市岩出山)に移る際に壊した―などの情報しかなかった。

 一方の米沢城は、政宗に続き領主となった蒲生氏、上杉氏がともに本拠とし、専門家の間では「伊達氏本拠は米沢城」が通説とされてきた。

 市教委は2001年に舘山城跡北側から、16世紀と推定される武家屋敷跡を発見。二つの川に挟まれた立地が仙台城に似ている点などから舘山城本拠説を有力とみており、昨年から3年計画で城跡一帯約28万平方メートルの発掘調査を進めている。

 6日には安部三十郎米沢市長が現地を視察する。市長は「この発見は伊達氏と舘山城をつなぐ糸口だ。新たな歴史的関心は宮城の被災者にも明るい話題となるだろう」と語った。


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