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日本の城郭
169
:
荷主研究者
:2011/06/05(日) 22:14:00
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/241917
2011年5月14日 01:16 西日本新聞
築城400年の佐賀城天守台 9−10月に予備調査着手
佐賀市教委が9月から予備調査に着手する佐賀城跡の天守台。天守閣の規模などの特定が期待される
佐賀城築城400年の節目に合わせ、城跡に残る天守台(同市城内2丁目)の発掘調査を行う佐賀市教委は、9−10月にかけ、現地での「予備調査」に着手することを決めた。3年計画の発掘調査の第1弾。礎石など遺構群の現存状況を見極め、広い範囲を本格的に発掘する「確認調査」につなげる狙い。天守台には5層構造の勇壮な天守閣があったとされ、調査を通じ全体像の解明に期待がかかる。
市教委文化振興課文化財係によると、予備調査では天守台(一辺35メートル前後、高さ約8・5メートル)上面の一部を幅2メートル、長さ10メートル程度の範囲で掘り下げ、遺構の確認を進める。天守閣の基礎構造を知る手掛かりとなる礎石の確認のほか、「穴蔵(天守閣地階)」といった地下遺構の有無も調べる。確認調査は来年度に実施する。
予備調査実施を前に市教委は、佐賀城をめぐる古里の歴史を広く知ってもらおうと、6月中旬には講演会を開催。さらに、城郭建築や石垣研究、文献調査などの専門家でつくる調査指導委員会を立ち上げ、7月に第1回会合を開く。
佐賀城は江戸期に35万7千石を治めた佐賀藩鍋島家の居城で、1611(慶長16)年に完成。天守閣は1726(享保11)年の大火で焼失し、以後再建されなかった。
明治以降の天守台をめぐる歴史をみると、明治−昭和初期に県立の測候所が建設されていたほか、1957年に「佐賀の鹿鳴館」とも呼ばれた明治期の迎賓館・協和館が移築され、2004年の県立佐賀城本丸歴史館開館に合わせて解体された。市教委は、これらの建造物が天守台の遺構にどの程度影響を与えたかについても、慎重に調査する考えだ。
調査担当者の1人、市教委文化振興課文化財係の谷澤仁(ひとし)係長は「佐賀城天守閣の存在については、絵図や文献の記録にとどまっている。築城400年の節目を機に、天守台調査を通じて佐賀城をめぐる謎のさらなる解明に向け、天守閣の真の姿に迫りたい」と話している。
=2011/05/14付 西日本新聞朝刊=
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