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日本の城郭
161
:
荷主研究者
:2011/03/27(日) 20:50:37
http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20110306/CK2011030602000140.html
2011年3月6日 中日新聞
個性際立つ、甲賀中世城郭 複合で防御機能を発揮か
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2011030602100088_size0.jpg
県史跡に指定されている小川城跡。土塁で囲われた主郭には建物礎石が残されている=甲賀市信楽町で
甲賀地域で戦国時代に盛んに築かれた中世城郭。これまで単純な構造ばかりで軍事的発達が認められないとされてきたが、甲賀市の市史編さん調査で、独自の発展をとげた可能性が高いことが分かった。江戸時代に大名が築いた城郭に比べ、謎に包まれた中世城郭の実情に迫る手がかりとして、専門家の注目を集めている。
甲賀は約200の城郭があったとされ、三重県の伊賀とともに全国有数の密集度を誇る。1982(昭和57)年に始まった県教育委員会の中世城郭分布調査で180の城の位置が確認されたが、土塁や堀など詳しい情報が乏しかった。
市史編さん調査は専門家が5年かけて現地を歩き、遺構の形状を地図上に記録した。調査した長浜城歴史博物館の中井均館長は「昔に比べ城郭研究が進み、自然地形との判別ができるようになり、より複雑な形状が分かった」と話す。
その結果、甲賀の城郭は土塁を「コ」の字形に築いた単郭方形だけという従来の見方が一変。敵が城郭へ直進して攻め入るのを防ぐ「虎口」や、地形を巧みに利用した補助的な土塁や堀の存在が多くの城郭で明らかになった。
いくつかの城郭がセットで防御機能を発揮したとの見方も浮上。甲賀町和田には谷筋に沿って7つの城郭が並んでおり、中井さんは「谷全体で一つの城の機能を持たせた可能性もある」と推測。複合タイプの存在はこれまで甲賀の城郭を特徴付けてきた一村一城説の再検討も迫る。
戦国時代の甲賀は、畿内中央地域から離れた山間部にあり、織田信長らの進攻まで大規模な戦乱に直接巻き込まれなかったとされる。その代わり、小規模な地域紛争に備える城郭のスタイルが定着したという。中井さんは「今回、明らかになった甲賀の城郭が、これまで分かっている歴史とどう結びつくのか、これからの研究の大きな課題」と指摘。今後、城郭の築造時期や軍事的機能の解明のためには、本格的な発掘調査が必要となる。
全国的にも珍しい中世城郭をテーマにした甲賀市史
◆市史が好評、遺構の形状など紹介
甲賀の180の城郭遺構の形状を分かりやすく紹介する「甲賀市史第七巻・甲賀の城」が、城の愛好家の間で評判となり、県外の注文も相次いでいる。
2004年の5町合併で誕生した市が新市の事業で甲賀市史の編さんを開始。古代から現代までの通史とは別に、地域の成り立ちに深く関わる題材として城に焦点を絞って編集。行政史では全国的に珍しい。
B5判で500ページ。城郭の構造物の位置関係や大きさから機能を分析し、先人らの意図を推理。概要図を等高線入りの地図上に描いてあり、イメージしやすい。実際の城跡見学で使える小冊子(B5判カラー20ページ)も付録で盛り込んだ。
評判は全国にも伝わり、これまで東海や関東、九州からの引き合いがある。市史は紙箱入りで1巻3500円。
問い合わせは市史編さん室=電話0748(86)8075=へ。
(林勝)
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