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日本の城郭
159
:
荷主研究者
:2011/03/27(日) 20:45:33
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20110301/CK2011030102000096.html
2011年3月1日 中日新聞
小牧山城に先進的石垣 信長の近世城郭、安土より13年早く
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/PK2011030102100049_size0.jpg
大規模な築城技術が確認された小牧山城の石垣=小牧市堀の内で
小牧市教委は28日、国史跡の小牧山城(同市堀の内)で、山頂の周囲に巡らせてある織田信長が築いた石垣に、築城当時としては大規模、先進的な技術が施されていたことが確認できたと発表した。天守閣と石垣を特徴とする近世城郭のルーツはこれまで、同じ信長が築いた安土城(滋賀県近江八幡市)にあるとされてきたが、さらに13年さかのぼって小牧山城に原型があることが明らかとなった。
小牧山城は1563(永禄6)年、清洲城から移ってきた信長が築いた。斎藤氏を滅ぼし岐阜に本拠を移すまでの4年間、本拠にした。
市教委によると、確認された石垣は長さ35メートルの上下2段で、高さは上段が2・5〜3・8メートル、下段は1〜1・5メートルだったと推測。特に上段を構成していた石垣は重さ2トン前後の巨大な自然石が整然と積み上げられ、「土が主体だった当時の城にはない技術が具体化され、これを原型にして『石の要塞(ようさい)』のような今日の城が全国に広まっていったと考えられる」と小野友記子考古学専門員(38)は話す。
石の配列にはデザインを意識したような工夫が見られ、内部には石垣の強度を上げるために細かい石や盛り土が敷き詰められ、近世城郭の城に見られる特徴と共通している。小野専門員は「こうした築城技術ひとつを見ても、戦乱の世を生き抜くには守りを固めることが肝要とする、信長の非凡な才能がうかがえる」と語り、戦国武将として優れていたことを裏付ける資料になるとみている。
城郭に詳しい千田嘉博奈良大教授は「信長が理想とする城郭の原点は小牧山城だったと推測され、後の岐阜城や安土城を通じて江戸時代の城にも決定的な影響を与えたのではないか」と話す。
市教委は今回の調査結果を受け、5日午前10時と午後2時、現地説明会を開く。無料、申し込み不要。(問)文化振興課=電0568(76)1189
(平井剛)
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