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日本の城郭

158荷主研究者:2011/03/27(日) 20:42:48

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20110306103.htm
2011年3月6日03時07分 北國新聞
絵図にない石垣確認 小松城

石垣が見つかった場所に建てられた美術品収蔵館=小松市芦城公園

 小松城の三の丸を囲む堀に護岸用の石垣があったことが、小松市埋蔵文化財センターの調査で初めて確認された。江戸前期の絵図に石垣は記載されておらず、これまで三の丸の堀に石垣は無かったと考えられていた。同センターは「小松城の実像を示す重要な発見」としており、6日に開く講演会で報告する。

 石垣は小松市芦城公園南側で整備された「美術品収蔵館」(仮称)の建設のための調査で見つかった。約200平方メートルを発掘したところ、地表から数十センチ下の位置にあり、長さ約10メートル、高さは約1・5メートル。

 江戸前期の絵図「小松城御城中(おんじょうちゅう)並びに侍(さむらい)屋(や)敷町共之(しきまちともの)絵図」には、三の丸を囲む堀が記されているが、石垣は描かれていなかった。同センターによると、水漏れを防ぐための石垣とみられ、城壁ではないという。

 石垣は1個約40センチ四方の大きさ。4段に積まれており、下2段は水に漬かっていた跡があった。石垣は5段以上あったとみられるが、詳細は不明。石垣の内部には、裏込石(うらごめいし)が約2メートルにわたって詰め込まれていた。

 同センターによると、石材は色などから小松市八里台や鵜川町、大野町などから切り出した凝灰岩で、積み方は石材を事前に加工して石と石の間の隙間を開けない「切り込みハギ積み」という。

 石垣周辺からは江戸前期のいぶし瓦などが見つかっている。同センターは、加賀藩3代藩主前田利常が同時期に小松城に隠居した以降に整備されたと推測し、「三の丸の調査はこれまでほとんど行われておらず、新しい知見が判明した。市民に小松城について関心を持ってもらいたい」としている。

 講演会は6日午後1時半から、小松市第一地区コミュニティセンターで開かれ、小松城跡については同センター職員の川畑謙二さんが報告する。このほか、八幡遺跡、月津台地の集落、南加賀窯跡群の発表も行われる。


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