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日本の城郭
157
:
荷主研究者
:2011/03/27(日) 20:23:18
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20110302/201103021146_13098.shtml
2011年03月02日11:46 岐阜新聞
岐阜城下町、やはり道三が整備 市教委、発掘調査で証明
岐阜城下町遺跡で発掘された中国産磁器などと、武家屋敷地付近のイメージ図を示す市教委職員=1日午前、岐阜市役所
◆信長火攻め跡から中国磁器出土
岐阜市教育委員会は1日、金華山の麓にある岐阜城下町遺跡で行っていた発掘調査で、織田信長の岐阜侵攻による1567(永禄10)年の火事が原因とみられる焼土層から、大型の中国産磁器など2万点が出土した、と発表した。市教委によると、文献や通説では岐阜の町の骨格をつくり上げたのは信長侵攻前の斎藤家とされているが、大規模な遺跡で明確に確認されたのは初めて。
発掘調査は、同市松ケ枝町の市道拡幅に伴い、市歴史博物館南側の約900平方メートルの範囲で昨年9月から行われていた。調査では焼土層のほか、敷地を区画するための溝や柱穴、中国産磁器などが見つかった。
市教委は、多数の磁器が広範囲の焼土層から見つかったことを重要視。焼土層は、信長が侵攻した際に町に火を付けた跡と見られており、当時は貴重品だった中国産磁器を多数所有しているような身分の高い武士が、侵攻以前から一帯に武家屋敷地をつくっていたと考えられるという。
同遺跡一帯は、斎藤道三が通したとみられている街路「大道」「七曲通」「百曲通」にはさまれた区画で、これまで調査はほとんど行われていなかった。発掘された溝などの方向は、街路の中でも南北に通る「大道」と直交しており、街路を基準として建物が築かれていたと考えられる。
市の信長居館発掘調査専門委員会の仁木宏委員(大阪市立大教授)は「普通の町人の家ではなく、斎藤道三の家臣など有力者の屋敷の一部が見つかったとみてほぼ間違いないだろう。道三が建設した城下町の計画性が明らかになったといえる」と話している。
市教委は5日午前10時から、同遺跡と、隣接する岐阜公園内の信長居館跡発掘調査現場の一般公開を行う。問い合わせは市教委社会教育課、電話058(265)4141。
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