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日本の城郭

152荷主研究者:2011/03/06(日) 12:57:53

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20110220101.htm
2011年2月20日02時24分 北國新聞
橋爪門の遺構確認 金沢城、焼け跡手掛かりに

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/jimbun/H20110220101.jpg
橋爪門二の門の埋蔵文化財調査が進められている金沢城公園内

 金沢城橋爪門の復元整備で、石川県は19日までに、1881(明治14)年の火災で焼失した橋爪門二の門の遺構を確認した。巨大な柱の重さに耐えられるよう地盤を固めた跡と、橋爪門続櫓(やぐら)の石垣から発見された柱と屋根の焼け跡が手掛かりとなり、門の正確な位置が裏付けられた。

 県は21日に初会合を開く「橋爪門の復元整備専門委員会」で具体的な整備方針の協議を始め、2014年度の北陸新幹線金沢開業を見据えた復元を急ぐ。

 遺構が見つかったのは、橋爪門二の門があったとされる現在の鶴の丸広場の一角。地表を1・5メートル掘り下げたところに、粘土質の土や小石を敷き詰め、地盤を固めた跡が2カ所見つかった。門の重みで地盤が沈み込まないよう補強した「根固め」の跡で、この上に柱の基礎となる礎石を置いて門を建てたとみられる。

 礎石はすべて取り除かれ、地中の遺構から柱の正確な位置は特定できなかったが、橋爪門続櫓の石垣から、石垣に接していた「添(そえ)柱(ばしら)」と1階ひさしの焼け跡が発見された。石垣には敷石の切り込みも残っており、この痕跡が橋爪門の構造を記した金沢城絵図の図面と符合したため、門柱の位置や屋根の高さが特定できたという。

 埋蔵文化財調査ではこのほか、雨水などを引き込む石組みの地下水路や枡(ます)の遺構も見つかった。二の丸から流れてきた排水を橋爪門の下を通して城内の内堀に流し込んでいたとみられる。

 橋爪門続櫓の石垣は2001年の菱(ひし)櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の再建に合わせて組み直されている。県金沢城調査研究所は「石垣に焦げたような跡があるのは以前から分かっていたが、それが焼けた柱などの痕跡と分かり、門の詳細を把握する重要な手掛かりになった」としている。

 橋爪門(はしづめもん) 二の丸御殿の入り口に位置した正門で、石川門、河北門とともに「金沢城三御門」の一つに数えられる。城内で最も格式が高い門とされ、門内には番所が置かれていたほか、三御門で唯一、二の門の床に敷石で装飾が施されていた。通行の際には衣装や従事者の数など厳格な規則が定められていたとされる。


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