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日本の城郭
146
:
荷主研究者
:2011/02/06(日) 11:21:13
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20110120/CK2011012002000106.html
2011年1月20日 中日新聞
黒野城で町おこし 住民ら研究会「加藤貞泰公知って」
河口さんが作成した平面図
◆平面図完成で市に活用策要望へ
岐阜市黒野地区の有志でつくる「黒野城と加藤貞泰公研究会」が、地元でもあまり知られていない黒野城の歴史を発掘しようと、研究に取り組んでいる。「歴史の町 黒野」をPRし、城跡の公園を黒野地区の観光資源にしたいと意気込んでいる。
黒野城は1598年ごろ、黒野藩主の加藤貞泰(1580〜1623年)が築き、1610年に廃城となった。本丸跡は高さ5・4メートルの土塁と桜の木に囲まれ公園として親しまれている。
しかし、知名度は岐阜城に比べて低く、廃城から400年の昨年4月、城や城主の歴史を掘り起こして観光資源として活用できないかと、地元市民が集って会を結成した。
黒野城跡と、城の歴史発掘に努める河口さん=岐阜市黒野で
会員は、歴史好きの市民や学識経験者など40〜70代の約20人。2カ月おきに会合を開いて研究内容を発表するほか、地元で講演会を開き、成果を市民に伝えている。
「城がかつてどんな姿をしていたか、どうしても知りたかった」という会社員の河口耕三さん(62)=同市今川=は、城の構造について研究。図書館や地元市民などから入手した資料を参考に、本丸跡の測量を続け、半年間かけて平面図を完成させた。現在は、黒野城下町の全体構造を把握しようと、研究を続けている。
河口さんは「岐阜城に匹敵するくらいに知名度をあげ、町おこしにつなげたい」と話す。会は、城跡を歴史公園として整備するなどの活用策を市に要望していきたいと考えている。
(松山祥子)
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