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日本の城郭
140
:
荷主研究者
:2010/12/26(日) 22:47:58
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/T20101214201.htm
2010年12月14日01時36分 北國新聞
高岡市教委が「天守閣予定地」を発掘へ 高岡城本丸北端など7カ所
高岡市教委が発掘調査に着手する高岡城跡=富山新聞社ヘリ「あすなろ」から
高岡市教委は13日までに、高岡城跡(高岡古城公園)の発掘調査で、「天守閣」予定地との指摘がある本丸北端など7カ所を今年度の調査対象にすることを決めた。高岡城は開城から5年で廃城になり、天守閣は造られなかったというのが定説であるが、本丸北端は地形などから重要施設があった可能性が高く、市教委は城の構造解明の足掛かりになることを期待している。
高岡城は築城時の姿がほとんど分かっていない。同市教委は国史跡指定を目指し、今年度から3カ年の発掘調査を計画し、本丸北端など7カ所については年内にも着手する。
調査対象は、本丸の北端と南端、土橋の石垣、本丸外周の土塁3カ所、北端斜面の計7カ所。これまでの測量調査などでは、7カ所は保存状態がよく、遺構が見つかる可能性が高いとみている。
高岡城跡の本丸北端は大きな出っ張りになっており、本丸の他の方角とは異なる形状になっている。小高くなっていることからも、城全体を見渡すような天守閣など施設の建設が予定されていたとの推測もある。
天守閣については、存在を裏付けるような絵図など史料は確認されていない。1612(慶長17)年に描かれたとされる高岡城の絵図「高岡御城景台之絵図」(高岡市立中央図書館蔵)では本丸北端は「御材木御蔵」と記されている。
ただ、明治期以前に記されたとされる文献「瑞龍院様高岡ニ御築城ノ件」(同図書館蔵)には「天守台」の記述があり、城内に天守閣のような施設があったと推測する向きもある。
高岡市立博物館元館長の神保成伍氏は「高岡のまちは高岡城から始まった。城の象徴といえる天守閣の有無に関して市民の関心は高い」と調査に期待している。
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