したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日本の城郭

139荷主研究者:2010/12/18(土) 16:22:46

http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20101125/CK2010112502000149.html
2010年11月25日 中日新聞
金沢城跡 手水鉢は坪野石 金大・酒寄教授が調査

坪野石とわかった舟形の手水鉢を調べる酒寄教授=金沢城公園で

豪放さ 利常時代の特徴?

 金沢城跡の三十間長屋前にある手水鉢(ちょうずばち)が金沢市南部産の坪野石製であることが、金沢大の酒寄淳史教授(50)=地質学=の研究で分かった。石の使われ方などを調べる研究はこれまで、金沢の南東部から産した戸室石中心だった。同城跡での坪野石使用はほとんどなく、今後はほかにも使われていないか研究が待たれる。(今宮久志)

 手水鉢は長さ百七十六センチ、幅百十六センチ、高さ七十一センチで、水を張るくぼみの直径が五十九センチ、深さ十九センチとどっしりしている。

 石の由来を調査するため、県などが酒寄教授に岩石の解析を依頼。その結果、斜方輝石や斜長石、鉄チタン鉱物、黒曜岩レンズ、ガラス質の組織を持った溶結凝灰岩であることが判明。K−Ar法により、約二千万年前の火砕流によってできた岩で、金沢市坪野町で産出されたことも分かった。酒寄教授は「坪野石は量的に少なく、どこでも採れるわけではない」と話す。

 坪野石の使用例としては、一六五七年創建の小松天満宮にある十五重の塔、金沢城跡の玉泉院丸庭園に水を落とすV字形の石樋(とい)と周りの石組み、同城跡本丸の庭園一部(池)と考えられる遺構から出た突起部のある石造物など、ごく限られている。

 小松天満宮の塔は三代藩主・前田利常(一五九三〜一六五八年)の建立で、玉泉院丸庭園も利常の意向で築庭された。さらに、坪野石の採掘禁止(止め石)は利常の時代からとの記録があり、この舟形手水鉢も利常時代のものと考えられる。

 国立歴史民俗博物館名誉教授の吉岡康暢さんは「この手水鉢の大きさ、豪放な感じからも、戦国武将の威風をもった利常時代のものと考えていい」と話している。

 ◇K−Ar法(カリウム−アルゴン法)◇ 放射性カリウム(原子量40)は半減期12・5億年で崩壊してアルゴン(原子量40)に変わる。岩石中に残っているアルゴンを集めて年代を測定する方法。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板