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日本の城郭

138荷主研究者:2010/12/18(土) 16:09:26

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20101123/CK2010112302000116.html
2010年11月23日 中日新聞
信長公の地下通路? 岐阜城ふもとで金箔瓦など出土

居館跡から出土した金箔が施された瓦片

 戦国武将織田信長の居館跡とされる岐阜市の岐阜公園の一角から、居館に通じる通路の遺構が発見され、岐阜市教委が22日、発表した。通路は一部階段状になっており、中からは金箔(きんぱく)が施された瓦片や壁土も出土。市教委は「通路の上に建物があり、地下通路として使用されていた可能性もある」と指摘している。

 市教委によると、確認された通路遺構は幅約4メートル、長さ約10メートル。居館跡の中心部と推測される部分から出土した。

 過去の調査で遺構の南側部分でも、同じような通路が確認されている。今回の遺構に通じることから、通路の規模は少なくとも長さ35メートルほどと推測されるという。

 瓦片は縦横各約3センチ。金箔の瓦は、信長が築城した安土城(滋賀県近江八幡市)の天主など主要な建物にも使われている。市教委は「通路の上には、主殿や宴会に使う会所など重要な建物が建っていた可能性もある」としている。

 1569年に居館を訪れたポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは著書『日本史』に「広い石段を登りますと大きい“広間”に入る」と記しており、通路上の建物の存在をうかがわせるという。

 通路の遺構から出土した陶磁器から、遺構の年代は、信長が岐阜城に入った1567年から、廃城となる1601年までのものとみられる。

 居館跡の調査は1984年から実施。今回は第4次として6月から中心部周辺の約150平方メートルを調査した。

 大阪市立大の仁木宏教授(中世史)は通路の上に建物があった可能性から「もし地下通路であれば、当時の建築物としてはかなり珍しい構造となる」と話している。

 現地説明会は27日午前10時から。

 (松山祥子)


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