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日本の城郭

133荷主研究者:2010/11/21(日) 13:33:33

http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&mode=0&classId=&blockId=9746857&newsMode=article
2010/11/03 08:54 福島民報
遺構に伊達氏居住時の主殿 桑折町の国史跡・西山城跡

 福島県桑折町の国指定史跡・桑折西山城跡の発掘調査で見つかった遺構が伊達氏居住時の主殿跡であることが2日までに分かった。柱と柱の間が七尺で統一されていることや四角の柱跡が残ることから、畳敷きの部屋だったとみられる。主殿の存在は、伊達氏の分国法「塵芥集(じんかいしゅう)」が西山城で書かれたとされる史料を裏付ける発見で、関係者は「中世の伊達氏や伊達郡の歴史を知る上で大きな手掛かりとなる」と注目している。

 町教委などによると、主殿は本丸の北東に位置する最も高い部分にあった。広さは縦約12メートル、横約8メートルで、庇(ひさし)や縁(えん)を持った構造で、柱と柱の間も統一されていており、格調高い建物だったことがうかがえる。さらに、角柱跡や燃えて炭となった柱片なども見つかっている。

 西山城は、伊達氏14代の伊達稙宗(たねむね)が梁川城から居を移した城とされている。今回発見された主殿の構造は梁川城と似ており、城を移したことも証明する発見となった。

 町教委学芸員の井沼千秋さん(41)は「西山城の存在は分かっていたが、実際にどのような建物があったのかが判明した。大きな成果だ」と話す。

 塵芥集は戦国大名の支配を示す分国法で全171条で戦国大名の分国法としては最大級。鎌倉幕府の「御成敗式目」を基準につくられ、神社・寺院に関する法、殺人・窃盗・強盗などに関する刑事法、境界や用水に関する法など多岐にわたる。北条氏の「早雲寺殿21条」武田氏の「信玄家法」などとともに知られる。

 主殿は主に会議などで使われる公式な場とされ、文献にも塵芥集は西山城で制定作業がなされたとされていることから、主殿で書かれた可能性が高い。

 県考古学会顧問の鈴木啓さん(77)は「梁川城から西山城に移ったことを証明する核心部分が判明した。さらに、教科書にも載っている塵芥集が主殿で書かれたことに思いを巡らすことができる歴史ロマンあふれる発見ではないか」と喜んでいる。

■※桑折西山城 天文元(1532)年ごろ、伊達氏14代の稙宗によって築城されたとされる戦国時代の山城。陸奥国守護として認められ、伊達氏全盛期を築いた稙宗だが、嫡男の晴宗と対立し、南奥羽を巻き込んだ戦乱「天文の乱」が勃発。晴宗が家督を継ぎ、稙宗は隠居し、和解の条件として西山城は廃城となった。平成2年に国指定史跡となり、19年から史跡公園整備を目指し、調査が進められている。稙宗は「独眼竜」で知られる17代政宗の曾祖父。

【写真】主殿跡とみられる遺構


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