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日本の城郭

132荷主研究者:2010/11/21(日) 11:23:34

http://www.hokkoku.co.jp/subpage/HT20101109401.htm
2010年11月9日03時14分 北國新聞
「松根城と切山城」加越城郭群を国史跡へ調査 金沢市が着手

国史跡指定に向けた取り組みが動き出す松根城跡=金沢市内

 金沢市は8日までに、市北東部の松根(まつね)城跡、切山(きりやま)城跡を含む一帯について、国史跡指定に向けた調査に着手した。石川、富山県境に近い二つの城跡は、文化庁も羽柴(豊臣)秀吉の天下統一に至る過程を示す貴重な歴史遺産であると高い評価を与えている。市は来年度以降に本格的な調査を進め、「加越国境城郭群」として一体的な価値付けを目指す。

 市によると、秀吉と徳川家康の天下統一をめぐる対立は北陸の地にも及び、天正12(1584)年に羽柴方の前田利家が切山城、徳川方の佐々成政が松根城をそれぞれ出城とし、加越両国を結ぶ重要な交通路である小原越(おはらごえ)を介して対峙(たいじ)した。天正13年には佐々成政が秀吉に降伏し、松根城、切山城とも廃止されたと考えられている。

 松根城、切山城とも小原越を城の中に取り込んで築城している点が特徴。いずれも本丸などの建物は現存していないが、土塁や堀などの遺構は良好な状態で残っている。

 松根城跡は一部が小矢部市にまたがる。1974(昭和49)年に金沢市史跡に指定され、市は2000年度から2年計画で史跡整備している。一方、切山城跡は樹木が生い茂り、見た目には城跡だと分かりにくい状態になっている。

 市は今年度の調査で、直線距離で約4キロの松根、切山両城跡を結ぶ小原越の状態などを確認する。小原越の一部は舗装され、現在も道路として活用されており、これまでの調査では新たに古道が見つかったという。

 文化庁が2007年度に設置した「中世城館遺跡・近世大名墓所等の保存検討委員会」ではかつての加賀、越中国境に位置する城郭群の歴史的重要性が指摘されている。既に同庁の調査官も現地視察を実施している。

 金沢、小矢部両市間では県境を越えた住民交流が活発化しており、6月の歴史講座には金沢市三谷、小矢部市北蟹谷両公民館から60人が参加した。金沢市は国史跡指定に向け、小矢部市との協力態勢も構築する。

 金沢市内では08年6月に金沢城跡、昨年2月に加賀藩主前田家墓所、今年2月に辰巳用水が国史跡に指定されている。市は二つの城郭と古道が一体的に「加越国境城郭群」として価値付けされ、市内の歴史遺産群に厚みが増すことを期待している。

●松根城 金沢市街地の北東約13キロの松根山山頂に所在する。最初に史上に登場するのは南北朝の時代の応安2(1369)年で、木曽義仲が布陣したとも伝わる。最頂部に面積約900平方メートルの本丸跡、南北に延びる尾根筋に二の丸、三の丸などの跡と推定される大小の平坦面(郭)が確認されている。

●切山城 戦国時代の天正12(1584)年ごろに築かれ、天正13年に佐々成政が降伏すると役割を終え、廃城になったとされる。規模は東西約180メートル、南北約260メートルで面積は約2万平方メートル。2001年度に金沢市が実施した測量調査事業では、城の中心部である主郭や敵の侵入を食い止める堀切、竪堀などの遺構が確認されている。


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