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日本の城郭

117荷主研究者:2010/06/20(日) 14:57:49

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20100602/CK2010060202000012.html
2010年6月2日 中日新聞
岐阜公園で発掘始まる 信長の居館跡

メーン通路の構造解明に向けて階段のコンクリートをはがす業者ら=岐阜市の岐阜公園で

 戦国武将の織田信長が、客人をもてなしたり政務を執ったりするための「居館」を構えたと伝わる岐阜市の岐阜公園で1日、本年度の発掘調査が始まった。屋外のメーン通路とみられる上り口の構造や、昨年度の調査で見つかった庭園遺構などの全容解明を目指す。

 市教育委員会が居館跡の発掘調査を始めたのは1984年で、現在は2007年度から始まった4次調査の4年目。本年度は、金華山ロープウエーの南東2地区約260平方メートルを掘り進める。発掘事業費は約4064万円。

 この一帯は、迎賓館や宣教師ルイス・フロイスが書き記した高層の建物、茶室などがあった“もてなしのエリア”とみられている。

 6〜9月は、迎賓館のように要人を接待する建物があったとされる明治大帝像の西側地区を重点的に調査。幅約4メートル、全長約30メートルとみられるメーン通路や、門の構造などを明らかにする。

 10〜3月は、昨年度の調査で、池や水溜めの石組みなど園池遺構が見つかった槻谷(けやきだに)の奥をさらに発掘。高層の建物の一部とみられる焼けた石垣の周囲の調査も進める。

 信長は1567年から9年間、岐阜城に住み、天下統一を目指した。城は1600年、関ケ原の戦いの前哨戦で、孫の秀信が徳川家康の東軍に敵対したため池田輝政らに攻められ落城。その際、現在の岐阜公園一帯に広がっていた居館も焼き払われたとみられる。

 発掘現場は9月まで、柵越しに常時公開されている。市教委社会教育課文化財グループの井川祥子さんは「ロープウエーの近くでやっているので、ぜひ見に来て、歴史に思いをはせてほしい」と話している。

 (森村陽子)


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