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日本の城郭
103
:
荷主研究者
:2010/04/04(日) 01:26:54
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20100328/CK2010032802000027.html
2010年3月28日 中日新聞
田中吉政の石像除幕 岡崎城下町発展の基礎築く
完成した田中吉政の石像=岡崎市籠田町で
岡崎城下町発展の基礎を築いた岡崎城主・田中吉政(1548〜1609年)の石像が岡崎市籠田町の中央緑道に完成し、27日に除幕された。
吉政の菩提(ぼだい)寺に残る肖像画を基に、岡崎石製品協同組合連合会の石工、磯貝泰隆さんが彫り上げた。あぐらをかいて座った姿と台座を合わせ、高さ185センチ。激しい戦歴を物語る顔面の刀傷もくっきりと再現した。
城下の旧東海道「二十七曲り」を手製のわらじで練り歩くイベントに参加した小学生や石材工業、地元の関係者計70人が式典に集まり、加藤邦彦副市長らが除幕。子どもたちは「家康だけじゃなく、吉政のことも勉強しなきゃ。強そうで格好いい」と喜んでいた。
豊臣秀吉に仕えた戦国武将の吉政は徳川家康の関東転封(1590年)後、約6万石の岡崎城主に。関ケ原の合戦(1600年)では家康方に付いて石田三成を捕らえる大功を立て、筑後(現福岡県)柳川32万5000石の城主に栄転した。
岡崎在城時代に、東海道を城下町に引き込んで複雑に屈折させて防御力を高めた「二十七曲り」や大規模な「田中堀」、天守閣などを築いた。精巧な石垣を築くため、関西から招いた職人が岡崎石工の起源になったと伝わる。
家康に比べ、いまひとつ知名度が低い「まちづくりの祖」を顕彰し、石工業をPRしようと、市が総事業費250万円で石像を作った。
(中野祐紀)
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