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憲法スレッド
357
:
小説吉田学校読者
:2006/05/03(水) 10:41:36
今日は憲法記念日。
だけどあんまり関係ないお話。護憲派改憲派の会合にはあまり興味ないしね。
平成の神仏冥合。もうお祭りだよね、こういう法要は。よって、目的効果基準には抵触しない。
それよりも俺が気になったのは「新幹線を乗り継ぎ」の部分ですね。ホームでたたずむご夫妻。キオスクで買い物をするご夫妻。かつて私が貼り付けた松村宏氏「相撲見ながら陛下とお酒飲んじゃったよ」並みの目撃談募集。
秋篠宮ご夫妻 聖武天皇没後1250年の法要に出席
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060503-00000009-maip-soci
秋篠宮ご夫妻は2日、奈良・東大寺の大仏殿で催された聖武天皇没後1250年の法要に出席した。ご夫妻は東大寺が運営する身体障害者の子どもの療養施設を視察した後、午後から法要に出席。
紀子さまはグレーの帽子にスーツ姿で、献花などが行われた後、秋篠宮さまとともに焼香した。夜には新幹線などを乗り継ぎ帰京した。
(毎日新聞) - 5月3日10時22分更新
359
:
小説吉田学校読者
:2006/05/12(金) 23:01:47
メール問題と一緒に女系天皇論議と皇室のオク論議を忘れています。
皇太子殿下はかつてこう言いました。「全力で守ってあげたい」と。思い半ばで忘れられるのはどっちも同じ。
さて、場外論戦であります。岩男教授は卑怯であります。
寛仁さま批判を“反省” 皇室典範会議・岩男氏
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060512-00000008-san-pol
政府の「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーである岩男寿美子・慶大名誉教授が、自身が編集長を務める海外向けの英文雑誌「ジャパンエコー」二月号に寄せた論文で、女系天皇に異論を唱えられた寛仁親王殿下を「時代錯誤」などと批判した問題で、岩男氏はこのほど発売された同誌四月号に“反省の弁”を掲載した。
岩男氏は「編集者から」と題したコラムの中で、「(有識者会議メンバーである)私が報告書について書いたものが、故意ではなくても都合のいい傾きを持ったことは認めざるをえない」「論評を第三者に依頼するよりも自分自身で書くと決めたのは、編集判断の誤りだった」などとした。
また、前号では、女系天皇を容認した報告書の内容を一方的に称賛していたが、今号では「皇位継承は、国内に考慮すべき意見の相違が存在する問題だ」と指摘。「(秋篠宮妃紀子さまのご懐妊という)喜ばしい展開も、継承論議の新たな要素として追加された」と客観的に記している。
同誌は隔月刊誌で、在外公館を通じ、各国の大学や研究機関に配布されている。
(産経新聞) - 5月12日3時29分更新
360
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/05/13(土) 00:43:39
>>358
民主党は制定には賛成で、共社は反対なわけで、
現在、民主党がなんとなく粘っている状況であると認識しています。
まあ、憲法9条を変えないっていうミッションがあるなら、国民投票法も成立させないほうがいいんだろうけど・・・。
>>359
あら、このアナロジーは、なかなか面白い。
吉田学校さんの手柄か、永田さんの手柄か。
>「(秋篠宮妃紀子さまのご懐妊という)喜ばしい展開も、継承論議の新たな要素として追加された」
ここ、注目したい。あんたらの出した案は男子誕生関係なく長子継承なのではないのか?
362
:
小説吉田学校読者
:2006/05/14(日) 18:52:37
>>361
18歳以上に国民投票というのは順序が違う。まず公選法を改正して、18歳以上に選挙権であります。そうした上で、少年法の適用年齢も18歳未満に引き下げ。これとセットなら私は民主案に改憲手続きのみなら賛成できる。
国政の重要問題は、やはり間接民主制を取っているんだから、国会議員に任せた方がよいと思いますけども、百歩譲って国民投票可能としたら、その拘束力とか投票にかける基準とかはどうするんでしょうか?
363
:
小説吉田学校読者
:2006/05/14(日) 19:08:22
歌丸の声に合わせて、隣の家(アパートの隣の部屋じゃない)からも三本締めと掛け声が聞こえてきたよ。日本は大丈夫か・・・
陛下の公園散策。携帯で写真撮られてたりしてたようです。2ちゃんねるでは「今上天皇伝説」みたいのが「加藤一二三伝説」みたいに書き込まれている。私なら陛下に貰いタバコしますね。恩賜のタバコとか言っちゃったりして・・・・日本は大丈夫だ。
天皇皇后両陛下、皇居外の公園を散策
http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3289077.html
天皇皇后両陛下は14日朝、皇居の外の散策を楽しまれました。皇居の外を歩いてまわられるのは珍しい光景です
天皇皇后両陛下は14日午前7時過ぎ、歩いて皇居を出られ、近くにある北の丸公園に向かわれました。
あいにくの小雨模様の中、両陛下は植物をご覧になったりしていましたが、突然の両陛下の姿に公園内にいた人たちも驚いた表情でした。
「ちょうど通り過ぎる時に(両陛下に)気がついて、本当にびっくりしました」
「『おはようございます』と言ったら、『おはようございます』とおっしゃっていました」
両陛下は公務で武道館などに出かけられる際、車で北の丸公園を通過することが多く、以前から希望していた公園内の散策がようやく実現したということです。
両陛下は普段、朝食前に皇居内を散策されているということですが、この日ばかりは赤信号で信号待ちをする両陛下の姿も見られました。(14日10:20)
364
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/05/14(日) 20:08:16
>>363
見逃しましたよ。なんか忘れてると思ってたんですが。
>>362
選挙と一緒に年齢引き下げするのが事務的にも穏当でしょうが、憲法の書き方からすれば、18歳を成人とすることになるでしょうか。
民主党は18歳を成人にするという提案をしていたような気がする。民法と少年法あたりを変えればいいでしょうか。
与党案も、18歳以上にいずれ持っていくというものになりそうだったはずで、当面それでいいのではと思いますが。
(与党が、成人年齢についてどこまで考えているのかわかりませんが。)
憲法改正以外への国民投票制度の導入ですが、日本は基本的に間接民主制だから望ましくない、ともいえないと思います。
間接民主制を基本としながらも国民投票をやっている国も多いわけで、制度としてはもうちょっと広がりがありうると思います。
しかし、国会に対し立法・非立法の拘束力を課すやり方は現憲法に照らして難しいといわれていますよね。現憲法は、国会議員に任せたほうがいいと言っているようなものだと思います。
民主党が本気ならば、憲法改正にも踏み込んで提案すべきことのような気がします。
ま、どうしても憲法改正の国民投票と一緒にやらなきゃいけないというわけではないでしょう。
(憲法改正のように賛成多数を成案要件とする国民投票は、憲法改正なしでは新たに導入できないと解釈できますから、まずは憲法改正しないといけないし、そのためには憲法改正の国民投票法を作らないといけない。憲法改正と重要問題を同列に扱うならば、先に憲法改正が必要だし、重要問題をおまけにつけるならば、いびつな法律になると思います。)
365
:
小説吉田学校読者
:2006/05/14(日) 22:50:12
信号待ちする両陛下ってシュールだね。
>>364
拘束力と投票にかける基準が問題になると思いますね。
で、まず、投票にかける基準ですけれども、
これを「国会議員の過半数以上の賛成で国民に付託する」となると、付託する前に可決できるだろという矛盾が生じます。
「過半数以下でも一定数以上の賛成で国民に付託する」となると、国民投票乱発になる可能性があります。
どっちを取るかだけど、そうなると、「そんなの面倒だ、国民投票は廃止」という声も挙がると思いますが、どうでしょう。
366
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/05/15(月) 01:36:52
>>365
議会の過半数にするか、首相が提案するか、というところでしょう。
議会内少数派が使える駆け引き材料になると、濫用に結びつきやすく、妥当とはいえないと思います。
議会の過半数があるなら可決できるといえばそうですが、むしろ委ねる判断もありうるんじゃないかと思いますが。
日本の事情に即するならば、衆参ねじれのおそれにも左右されるところかもしれませんが。
国民発案制と結びつけると、否決時に国民投票を必須にすることもできそう。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/015116320051027005.htm
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kenpou/keika_g/163_03g.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/kousensei/dai8/8gijiyousi.html
367
:
とはずがたり
:2006/05/15(月) 01:45:21
衆参の議決が異なった時に国民投票に付すなんてのはいいかもしれませんね。衆参のねじれ現象に対抗するためにも。
衆院の優越性を示すために衆院のみが発議できるとかどうであろう。
また国民の3割の署名で発議可能とか非現実的ですかね?やっぱ国民投票の濫発は衆愚政治のおそれがあるかなぁ。。
368
:
小説吉田学校読者
:2006/05/21(日) 08:37:51
畏し下呂温泉2泊3日。これくらいゆったりする公務もいいね。
というより、毎回気になるのは「新幹線などを乗り継ぎ」の部分。これ必要なの?
天皇、皇后両陛下:全国植樹祭出席で岐阜・下呂入り
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20060521k0000m040024000c.html
天皇、皇后両陛下は20日、第57回全国植樹祭に出席するため、新幹線などを乗り継ぎ岐阜県下呂市に入った。式典は21日開かれ、22日に岐阜市内の養護学校を視察後、帰京する。
369
:
とはずがたり
:2006/05/22(月) 17:17:31
やれやれ,こんな感覚なんかねぇ,日本人
「愛国心」盛り込み半数が支持=教基法改正、反対は2割−時事世論調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060521-00000033-jij-pol
時事通信社が21日まとめた教育基本法改正に関する世論調査結果によると、「愛国心」の理念を盛り込んだ政府の改正案に「賛成」するとした人が5割を超えていることが分かった。支持政党別では、民主党支持者の57.9%も「賛成」だった。一方、教育基本法を改正すること自体に反対と答えた人は、全体の2割弱にとどまっており、国会での改正論議に影響を与えそうだ。
調査は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」との文言が盛り込まれた政府案が国会提出された後の今月11日から14日にかけて、全国の成年男女2000人を対象に個別面接方式で実施した。有効回答率は66.6%。
(時事通信) - 5月21日17時1分更新
370
:
とはずがたり
:2006/05/26(金) 22:39:06
国民投票法案:メディア規制条項設けず 大綱の全容判明
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/senkyo/news/20060519k0000e010078000c.html
自民、公明両党が協議していた憲法改正手続きを定める国民投票法案の大綱の全容が19日、判明した。民主党が反対していたメディア規制条項を設けず、報道を一切規制しないが、投票に諮る対象を憲法に限定、投票権者の年齢を20歳以上とし、民主党案と対立している。買収罪の罰則は3年以下の懲役・禁固などとした。
同日午後の与党協議会で承認し、来週後半にも国会に提出する方針。民主党との共同修正を目指すが、今国会での成立は困難な情勢だ。
4月の自民党案をたたき台に両党が協議していた。自民党案では公正な報道を報道機関に求める「配慮規定」を設けていたが、民主党やマスコミからの反対に配慮して廃止した。民主党との対立点は、投票権者の年齢、投票対象のほか、白票を無効票とみなす点などが残っている。
憲法改正案は一括して賛否を問うのではなく、関連項目ごとに投票できるよう努めるとした。[田中成之、坂口裕彦]
毎日新聞 2006年5月19日 12時46分
371
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/06/25(日) 17:48:00
今回の最高裁判決の要旨→「内閣総理大臣の地位にある者が靖國神社に参拝した行為によって個人の心情ないし宗教上の感情が害されたとしても,損害賠償の対象となり得るような法的利益の侵害があったとはいえない」
憲法裁判所:設置の是非、争点に 民主、対立軸狙う−−靖国参拝訴訟・最高裁判決受け
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060625ddm002010009000c.html
小泉純一郎首相の靖国神社参拝について憲法判断をしなかった23日の最高裁判決を受け、憲法判断に専念する「憲法裁判所」の設置の是非が改憲論議の新たな争点に浮上しそうだ。民主党は「現行では国会が関与しない首相の行動に違憲性があっても止められない」と設置に否定的な与党を批判、憲法9条と並ぶ対立軸にしていく構えだ。
「憲法判断をしなかったのは大変残念。裁判所では憲法判断がしばしば避けられてしまう」
最高裁判決を受け、民主党の鳩山由紀夫幹事長は記者会見で述べた。同党は昨年の「憲法提言」に憲法裁の設置を盛り込んだ。背景には、国家の存立にかかわる政策には司法が介入しない「統治行為論」を根拠に、裁判所が憲法判断に消極的なことへの疑問がある。憲法9条の拡大解釈が繰り返される現状にも歯止めがかからないという懸念もあった。
これに対し、自民党は「司法による立法権侵害につながる」と不要論を主張。昨年の新憲法草案でも憲法裁設置を盛り込まず、公明党も消極姿勢で歩調を合わす。
首相の参拝に対し、地裁レベルでは過去2度の違憲判断があるが、首相は「心の問題」と突っぱねており、民主党幹部は「最高裁が判断を避ける状況が続けば、『憲法なんていらない』という考え方につながる」と語っている。【田中成之】
毎日新聞 2006年6月25日 東京朝刊
372
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/06/29(木) 00:40:34
当の首相が神社参拝は「個人」の自由だと言ってるのにね。
公約するたぐいのことだと思ってるんですか?
自民党:靖国若手国会議員の会、結論まとまらず
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060629k0000m010103000c.html
自民党の「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」は28日、国会内で総会を開いた。超党派の議連「国立追悼施設を考える会」が首相の靖国神社参拝に違憲の疑いがあるとの提言をまとめたことに対抗する「見解案」を議論したが、首相参拝をめぐる表現で調整がつかず、結論を会長に一任して先送りした。
会長の今津寛衆院議員によると、見解案にある「本会では首相による靖国参拝を支持する」との表現に対し、「『首相による』との文言を盛り込むと、党総裁選で参拝を公約しない候補者を応援できなくなる」などと党総裁選への影響を懸念する意見が複数あった。
今津会長は記者団に「総裁選に中韓両国の介入を許しかねない『国立追悼施設』を声高に論じるべきではない」と議連の提言を批判。見解案については、首相の参拝は違憲に当たらない▽新たな追悼施設は必要ない−−などの柱は維持したまま、表現を詰める考えを示した。[小山由宇]
毎日新聞 2006年6月28日 21時02分
373
:
小説吉田学校読者
:2006/07/10(月) 23:34:32
補償を求めるのはどうかとは思いますが、謝罪と金一封くらいはやらないとダメだと思う。市井の民を神として祀るというのは宗教的にムリがあるのであります。「神になる」と「神として祀る」ではかなり違いがあるのであります。
「靖国が生存者5人合祀」 ずさんな戦後処理と韓国
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=YNS&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2006071001004646
<ソウル10日共同>韓国の政府機関「強制動員真相究明委員会」は10日、日本の植民地時代に強制連行された韓国人の生存者5人が、本人も知らない間に靖国神社に合祀(ごうし)されていることが確認されたと明らかにした。
日本による強制連行被害の申請を受け付け、申請内容を確認する作業の中で判明したという。
5人のうちの1人で、現在はソウル市内に居住する金希鍾氏(81)は19歳だった1944年、憲兵らに強制連行されてサイパンへ労働者として動員され、米軍の捕虜になり韓国へ戻ったという。金氏は「靖国神社まで行って名前を削除するよう求めた。日本政府がちゃんと調査していればこんなことはないはずだ」と日本側を批判、補償を求めた。
375
:
名無しさん
:2006/07/20(木) 14:04:21
日経は朝刊一面トップ記事でしたね。ネット記事は控えめですが。
こちらではメモの写真も掲載。
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200188.html
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
2006年07月20日11時12分
昭和天皇が死去前年の1988年、靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて、「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった。当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が発言をメモに記し、家族が保管していた。昭和天皇は靖国神社に戦後8回参拝。78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝していなかった。A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては、合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていた、と証言しており、今回のメモでその思いが裏付けられた格好だ。
昭和天皇(88年)
天皇陛下の病状について発表する富田朝彦宮内庁長官(左)=1987年9月21日、宮内庁で
昭和天皇の発言を記したメモ
メモは88年4月28日付。それによると、昭和天皇の発言として「私は 或(あ)る時に、A級(戦犯)が合祀され その上 松岡、白取(原文のまま)までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記されている。
これらの個人名は、日独伊三国同盟を推進し、A級戦犯として合祀された松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐伊大使、66年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取ったが合祀していなかった筑波藤麿・靖国神社宮司を指しているとみられる。
メモではさらに、「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々(やすやす)と 松平は平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らずと思っている」と続けられている。終戦直後当時の松平慶民・宮内大臣と、合祀に踏み切った、その長男の松平永芳・靖国神社宮司について触れられたとみられる。
昭和天皇は続けて「だから私(は)あれ以来参拝していない それが私の心だ」と述べた、と記されている。
昭和天皇は戦後8回参拝したが、75年11月の参拝が最後で、78年のA級戦犯合祀以降は一度も参拝しなかった。
靖国神社の広報課は20日、報道された内容について「コメントは差し控えたい」とだけ話した。
◇
《「昭和天皇独白録」の出版にたずさわった作家半藤一利さんの話》メモや日記の一部を見ましたが、メモは手帳にびっしり張ってあった。天皇の目の前で書いたものかは分からないが、だいぶ時間がたってから書いたものではないことが分かる。昭和天皇の肉声に近いものだと思う。終戦直後の肉声として「独白録」があるが、最晩年の肉声として、本当に貴重な史料だ。後から勝手に作ったものではないと思う。
個人的な悪口などを言わない昭和天皇が、かなり強く、A級戦犯合祀(ごうし)に反対の意思を表明しているのに驚いた。昭和天皇が靖国神社に行かなくなったこととA級戦犯合祀が関係していることはこれまでも推測されてはいたが、それが裏付けられたということになる。私にとってはやっぱりという思いだが、「合祀とは関係ない」という主張をしてきた人にとってはショックだろう。
376
:
名無しさん
:2006/07/20(木) 14:04:55
http://www.asahi.com/national/update/0720/TKY200607200188.html
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀(2)
靖国神社への戦犯の合祀(ごうし)は1959年、まずBC級戦犯から始まった。A級戦犯は78年に合祀された。
大きな国際問題になったのは、戦後40年目の85年。中曽根康弘首相(当時)が8月15日の終戦記念日に初めて公式参拝したことを受け、中国、韓国を始めとするアジア諸国から「侵略戦争を正当化している」という激しい批判が起こった。とりわけ、中国はA級戦犯の合祀を問題視した。結局、中曽根氏は関係悪化を防ぐために1回で参拝を打ち切った。だが、A級戦犯の合祀問題はその後も日中間を中心に続いている。
昭和天皇は、戦前は年2回程度、主に新たな戦死者を祭る臨時大祭の際に靖国に参拝していた。戦後も8回にわたって参拝の記録があるが、連合国軍総司令部が45年12月、神道への国の保護の中止などを命じた「神道指令」を出した後、占領が終わるまでの約6年半は一度も参拝しなかった。52年10月に参拝を再開するが、その後、75年11月を最後に参拝は途絶えた。今の天皇は89年の即位後、一度も参拝したことがない。
首相の靖国参拝を定着させることで、天皇「ご親拝」の復活に道を開きたいという考えの人たちもいる。
自民党内では、首相の靖国参拝が問題視されないよう、A級戦犯の分祀(ぶんし)が検討されてきた。いったん合祀された霊を分け、一部を別の場所に移すという考え方で、遺族側に自発的な合祀取り下げが打診されたこともあるが、動きは止まっている。靖国神社側も、「いったん神として祭った霊を分けることはできない」と拒んでいる。
ただ、分祀論は折に触れて浮上している。99年には小渕内閣の野中広務官房長官(当時)が靖国神社を宗教法人から特殊法人とする案とともに、分祀の検討を表明した。日本遺族会会長の古賀誠・元自民党幹事長も今年5月、A級戦犯の分祀を検討するよう提案。けじめをつけるため、兼務していた靖国神社の崇敬者総代を先月中旬に辞任している。
◇
《靖国神社に合祀された東京裁判のA級戦犯14人》
【絞首刑】(肩書は戦時、以下同じ)
東条英機(陸軍大将、首相)
板垣征四郎(陸軍大将)
土肥原賢二(陸軍大将)
松井石根(陸軍大将)
木村兵太郎(陸軍大将)
武藤章(陸軍中将)
広田弘毅(首相、外相)
【終身刑、獄死】
平沼騏一郎(首相)
小磯国昭(陸軍大将、首相)
白鳥敏夫(駐イタリア大使)
梅津美治郎(陸軍大将)
【禁固20年、獄死】
東郷茂徳(外相)
【判決前に病死】
松岡洋右(外相)
永野修身(海軍大将)
377
:
小説吉田学校読者
:2006/07/21(金) 01:16:53
「すごいスクープ」と朝書きました。確かに新聞協会賞確実(インサイダー取引の捜査がなければ)のスクープではありますけれども、史料の精査はちゃんとやるべきだと思います。
2ちゃんねるニュー速では「捏造だ」と書かれていますけれども、確かにインクの色とか紙質とかは疑問の余地が残るところでありますし、「私」が天皇を指すのか、徳川元侍従長を指すのか不明でもあります。
でも、「後から書いた」ものであっても、富田氏の筆跡には間違いないようですし、仮に徳川侍従長の意見といっても、昭和天皇と徳川侍従長との関係から見て、意見が相違するというのは全く考えにくいのであります。昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を持っていたのは、確かであろうと思います。
ただ、「市井の昭和史研究家」としては、「合祀に不快感」はあっても、「東條全面不支持」ではなかったように思われます。松岡・白鳥不支持は揺るがないと思いますが。
昭和天皇:靖国合祀不快感に波紋…遺族に戸惑いも
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/archive/news/2006/07/20/20060720k0000e040049000c.html
「だからあれ以来参拝していない。それが私の心だ」。富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。
■A級戦犯の遺族
「信じられない。陛下(昭和天皇)のお気持ちを信じています」−−A級戦犯として処刑され、靖国神社に合祀される板垣征四郎元陸軍大将の二男の正・日本遺族会顧問(82)=元参院議員=は驚きながらも、そう言い切った。
正氏は昭和天皇が参拝を中止したのは、A級戦犯合祀とは無関係だとの立場を崩さない。「三木(武夫)総理(当時)が昭和50(75)年に現職首相として初めて参拝し、その秋の国会で論議になったため、陛下はその後参拝できなくなったのだと私は思うし、さまざまな史料からも明らかだ。A級戦犯合祀は、陛下の参拝が止まった後のことだ」と話す。その上で「(富田元長官が)何を残され、言われたかは関知しない」と言った。
同様にA級戦犯として合祀される東条英機元首相の二男輝雄氏(91)=元三菱自動車工業社長=は「そんな話、いまだかつてどこからも聞いたことがない」と繰り返した。「信ぴょう性が分からない以上、言いようがない。個々の動きでいちいち大騒ぎしても仕方ないよ」とコメントを避けた。
■識者は
昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「昭和天皇は東京裁判の結果を容認し、A級戦犯合祀はおかしいと判断していたから、想像できる範囲ではある」とし、影響について「参拝に反対の立場の人たちからは『昭和天皇でさえも否定的』という声が強まるのではないか。小泉純一郎首相と昭和天皇は靖国について考えが違うことがはっきりした。首相は参拝するのであれば、昭和天皇の判断に、政治の最高責任者として戦争について見解を改めて述べる必要があるのではないか」と語った。
一方、一橋大大学院社会学研究科の吉田裕教授は「徳川義寛侍従長の回想で示唆されていたことが確実に裏付けられ、松岡洋右元外相への厳しい評価も確認された。今後は分祀論にはずみがつく。小泉首相も、少なくとも(終戦の日の)8月15日に参拝をしない理由になるのではないか。首相の参拝には多少の影響はあると思う」と話した。
日本近現代史に詳しい小田部雄次・静岡福祉大教授は「昭和天皇の気持ちが分かって面白い」と驚き、「東京裁判を否定することは昭和天皇にとって自己否定につながる。国民との一体感を保つためにも、合祀を批判して戦後社会に適応するスタンスを示す必要もあったのではないか」と冷ややかな見方を示した。その上で「A級戦犯が合祀されると、A級戦犯が国のために戦ったことになり、国家元首だった昭和天皇の責任問題も出てくる。その意味では、天皇の発言は『責任回避だ』という面もあるが、東京裁判を容認する戦後天皇家の基盤を否定することもできなかったのではないか」と話した。
378
:
小説吉田学校読者
:2006/07/21(金) 01:19:35
(続き)
「三木首相が私人参拝してから、政治問題化し始めた」といいますが、政治問題化し始めたのは「靖国管理法案、衆院内閣委で強行採決」があった74年からであり、その際は「A級戦犯合祀」ではなく純粋に「政教分離」の観点から問題になり始めたものであります。
昭和天皇は三木首相が参拝してからも1度参拝しております。あまり関係ないと思います。
◇靖国神社とA級戦犯合祀を巡る動き◇
1945年8月 終戦の玉音放送
46年4月 国際検察局がA級戦犯容疑者28人を起訴
6月 松岡洋右被告が病死
48年11年 極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯のうち7人に絞首刑判決
51年9月 サンフランシスコ講和条約調印
56年4月 厚生省(当時)が「祭神名票」送付による合祀事務に対する協力を都道府県に通知
66年 A級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付
75年8月 三木武夫首相が現職首相で初めて終戦記念日に参拝。私人としての「参拝4原則」を強調
11月 昭和天皇が最後の参拝
78年10月 靖国神社がA級戦犯14人を合祀
85年8月 中曽根康弘首相が公式参拝。「宗教色を薄めた形式なら公式参拝は合憲」との官房長官談話を受けて
86年8月 近隣諸国に配慮して中曽根首相が参拝断念
01年8月 小泉純一郎首相が13日に参拝。以降、毎年参拝
05年6月 小泉首相が衆院予算委員会でA級戦犯について「戦争犯罪人であると認識している」と答弁
◇内容を精査し、冷静な分析必要
天皇の靖国神社参拝は1975年11月21日に昭和天皇が行って以来、今の天皇陛下も含め行われていない。同神社や遺族側は、その後も「天皇参拝」を求めているが、30年以上途絶えたままだ。これまでいくつかの理由が推測で語られていたが、今回の「富田元長官メモ」は、このうちの一つを大きくクローズアップした。
宮内庁によると昭和天皇は、終戦に際し45年11月に同神社を参拝。その後も数年おきに訪れ、75年までに戦後計8回参拝した。また、今の天皇陛下は皇太子時代、69年までに戦後計4回参拝している。
途絶えた理由に挙げられるのは(1)78年のA級戦犯合祀(2)対外関係の考慮(3)公人私人問題−−など。靖国参拝推進派はこのうち(3)を取り上げることが多い。75年8月、三木武夫首相は「私人」の立場を強調して参拝。同年11月の天皇参拝では、政府は「天皇の私人としての行為」と国会答弁した。この点につき、「公人中の公人」の立場を昭和天皇が熟慮して、その後の参拝を取りやめたとの考えだ。
だが、今回のメモは(1)が大きな理由だったと読める。天皇参拝を求める以上、遺族側でもこの発言を理由に、A級戦犯分祀論が強まる可能性がある。
一方で、メモで取り上げられている松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使への昭和天皇の思いを考慮する必要もある。「昭和天皇独白録」で、松岡元外相について「恐らくは『ヒトラー』に買収でもされたのではないかと思はれる」と辛らつに評価。白鳥氏が担当した日独伊三国同盟にも不満を述べている。信任していたとされる東条英機首相や木戸幸一内大臣らと比べ、冷ややかに見つめていたのは明らかで、それが発言に反映している可能性も否定できない。
また、合祀されているA級戦犯14人の多くは陸海軍幹部で、2人は元々からの外務官僚。軍人でもなく、戦死でもなく、靖国神社にまつられることに違和感を語る向きもあった。昭和天皇が何を問題と感じ、それを今後我々がどうとらえていくか。内容について全文を精査し、冷静に分析していくことが必要だろう。【
379
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/21(金) 11:36:16
>>377
私も吉田学校さんと全く同じ意見です。
それにしても、昨日の朝刊の異変には驚いた。
あれが日経新聞かいな。昭和天皇が不快感を示してたから分祀せよ、ってのもどうなんだと思うんですね。「昭和天皇の見方は絶対だから」というのもおかしいし「昭和天皇でさえこう思し召しだから」というのもおかしいように思う。
すごいスクープではあるのでしょうが、そういうことしていいのかな? とも思います。
珍しく東アジアnews+ってところに行ってみて、このメモの前のページの解読を手伝いました。
紙の白さなどから近時つくられ貼り付けられたという意味で捏造という人、文脈などから「私」が天皇でないという意味で捏造という人がいますけれども、どちらも決定的といえないにもかかわらず、もう決まったかのようにいう人が多いんですね、あそこは。
知識の豊富な人もたくさんいそうなんですが、雰囲気としてそんな感じだから、だいじょうぶなのかな?、と思いました。
紙のほうはわかりませんが、「私」が昭和天皇である可能性はまたじゅうぶんにあると思いますね。当時の徳川前侍従長が似たような意見を持っていたからといって、その人の意見だとするには早急すぎると思います。実際にこのメモの元になった会見があり、このメモのうちあまり踏み込んでいない部分までは昭和天皇が事実おっしゃったことのようですし。
ただ、戻りますけど、日経新聞もこの時期しかないと見定めて出したのか、検証が十分でないと感じられるし、記事の文章も今日の「合祀」状態に影響をもたらそうというのがミエミエで気持ちの良いものではないですね。
昭和天皇の考えはあくまで一要素として(それもできるだけ検証を経たうえで)国民が考えるべきであると思います。主にビジネスの支障だからという意味で抱いていたA級戦犯分祀意見をもっているところ、天皇の考えを奇貨としてとびつくのは安易なんじゃないでしょうか。
昭和天皇が「A級戦犯」というくくりで合祀をいやがったのかも明確にはわかりませんし。
これが国政の最大論点として論じられるのは、(テーマも論法も)面妖に感じますね。
皆、自分の論法に意識的になるべきです。
>>378
・しかし、三木首相参拝直後の昭和天皇参拝時に一部から批判があったということもどっかに書かれてましたが、それが響いたのかもしれないですよね。
・合祀って当時あまり問題にならなかったんですかね? 宮内庁近辺が特に敏感だった?
・政教分離の観点から言うと、戦後直後から引き続き問題を抱えてる気がするんですが、それと靖国管理法案との関連はどうなんでしょうね? 靖国管理法を作ろうとしたから、政教分離に改めて目が向いたということ?
380
:
小説吉田学校読者
:2006/07/21(金) 19:18:24
>>379
私はちょっと片言丸氏の考えとは違って、あの日経の記事を読んで、仮説としての「A級戦犯分祀論の背景に天皇筋の意向」というのが裏づけされたものだと思いました。分祀せよと日経が主張しているようには、正直思えなかったですね。むしろ、昭和史好きの私には早朝からガツンときた(13版には載っていないから、朝ズバからだけど)面白い記事でした。
2ちゃんねるを見て、これはいい推測だなと思ったのは、「4月28日の誕生日前の会見は4月25日に行われたが、その際『大戦が一番嫌な思い出、だが、人物の批判は避けたい』と述べている。4月28日に発言されたというメモは、会見の発言を補足する意味でオフレコ発言を備忘したのではないか」というものです。誰に対するオフレコ発言かは知らんが、生命の終末期に思いを残そうという気持ちは合ったのではないでしょうか?
ということで、現代史学的コメントで、分祀、合祀をスルーしている私でありますが、この産経記事、8月30日=マッカーサー、厚木に上陸、7月23日=ポツダム宣言発表(7月26日)3日前、8月31日=降伏調印(9月2日)2日前、であります。昭和天皇は、夏の暑さとともに戦争を思い出していた。そして、折に触れて、側近に「語り部」「生き証人」として昭和を証言したかったのではないか・・・
故富田氏「日記」 大戦、教科書にも言及 昭和天皇の思いつづる
http://www.sankei.co.jp/news/morning/21pol001.htm
昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について話されたとするメモのほかに、富田朝彦元宮内庁長官(故人)が書き残していた日記には、先の大戦や教科書問題などについて昭和天皇が気にかけられていた様子が記されている。
昭和57年8月30日付の富田元長官の日記には、「陛下と約九〇分。教科書問題に関連して韓国や中国へのお気持ちを大正末期、昭和の事実を踏まえてお話くださる」。また、61年7月23日付には「この処、靖国のこと、教科書問題と、お召し言上しきりである」、8月31日付には「国際連盟脱退時のこと、開戦前後のことなどいろいろとお話をいただいた」と書かれていた。
戦後、戦争責任や靖国神社への閣僚の発言が相次いだころの政治家への昭和天皇の人物評価もあった。
昭和60年の大みそかには「中曽根(康弘元首相)の内奏については、『私が後藤田(正晴元官房長官)はなかなかの人物で立派な人物のようだが、田中とはどうなっているのかと質問したのだよ』と眼を細めて仰せになる。中曽根は『後藤田は中立です。田中は今や三つに分かれて』と説明し、(中略)『中曽根も大部内外の情勢につき、適切な心配りができるようになった。成長したと思うね』と仰せられる」とあった。
このほか、昭和54年1月14日付では、「陛下のお風邪ご本復のご様子をお慶び申し上げると、『長官はどう』と仰せになる。陛下は『長官の公邸は古くてとても寒いそうだね…(中略)…修繕もしたと思うが…(中略)』。じーんとするものがこみあげてきた」と書かれるなど昭和天皇と元長官の心の通い合いがうかがえる記述もあった。
381
:
小説吉田学校読者
:2006/07/21(金) 19:25:36
(続き)
この藤森氏の「富田氏は事実ではないことを書く人ではない」というのは、説得力あるなあ。富田氏と親交があったとされる元朝日新聞の岸田さんと、秦元教授との激突対論を希望します。秦さんとか半藤さんとか保阪さんとか、文春系「中道保守派文化人」が結構、「歴史的発見だ」というコメントしてますね。昭和史探偵たちは命続くまで「菊のカーテンの隙間」のトリコであります。私も含めて。
≪識者談話≫
■観念論になる/陛下と国民が判断/扱い慎重に
▼昭和史に詳しい秦郁彦・元千葉大教授(日本現代史)の話「日記とメモのコピーを見たが、信頼性は高い。昭和天皇がA級戦犯合祀に反対されていた『内意』は側近だった徳川義寛元侍従長の証言などで定説になりかけていたが、今回のものはそれを裏付ける史料だ。しかし、問題はどんな波及効果を及ぼすかで、どう議論してみても、最終的な判断が靖国神社にある限り観念論になってしまう。この問題はしばらく論議を凍結してはどうか」
▼新田均・皇学館大教授(神道学)の話「事実とすれば、激動の時代を目撃してこられた昭和天皇の昭和63年時点の思いとして重く受け止めたい。特に松岡洋右元外相らへの厳しいご認識が伝わってくる。だからといっていわゆる『A級戦犯』を分祀しなければいけないとか首相が参拝してはいけないという結論にはならない。これからのことは、今上陛下と平成の国民が今の時点で主体的に考えて国家意思を決めるべきだ」
▼富田朝彦氏の後任として宮内庁長官を務めた藤森昭一氏の話「天皇陛下の私的なご発言であっても内容が重要であれば、個人の判断としてメモに残すことはあり得ると思う。それ自体は悪いことではないが、外に出すという点については、おのずと慎重にならざるを得ない。富田さんが亡くなった今では分からないが、今回のメモも公表するつもりで書き残したのではなく、個人的なものだったはず。内容に対するコメントは皇室に仕えた者として難しいが、富田さんが事実にないことを書くような人でなかったことは確かだ」
382
:
とはずがたり
:2006/07/22(土) 00:47:41
>>380
>『私が後藤田(正晴元官房長官)はなかなかの人物で立派な人物のようだが、田中とはどうなっているのかと質問したのだよ』と眼を細めて仰せになる。中曽根は『後藤田は中立です。田中は今や三つに分かれて』と説明し、(中略)『中曽根も大部内外の情勢につき、適切な心配りができるようになった。成長したと思うね』と仰せられる」とあった。
昭和天皇は帝(みかど)だったんですなぁ。。今上天皇がこんなこと云うのはちょっと想像がつかないけど,昭和天皇が云ったのはなんとなく想像が付く。
383
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/22(土) 00:51:23
>>380
全く同じ意見というのは、”部分的に”全く同じということでした。
富田長官、徳川侍従長と天皇陛下はかなり心通じるものがあったと思います。
某掲示板某所などでは、昭和天皇以外の全く意見の異なる輩の意見を記したものにすぎないとみなす意見も多かったですが、そうではないと。
21日の朝刊に特集がありましたが、靖国の件以外のエピソードも読んで、心安らかになりましたね。
富田長官と昭和天皇の、お互いへの敬意の払い方。読んだだけでもたいそう心地よいものです。
昭和天皇は若槻から昭和初年の厳しいころの話を聞き出そうとしたが、若いころの違う話にもっていかれた。それを1988年になって、やっと若槻の気持ちがわかった、とおっしゃる。「私にも戦争への気持ち、戦争責任の質問が多いが、現存の人もあり、なかなか言えぬ。だから、楽しかった欧の旅のことを言うのだと思うよ。」私にも、この気持ちはわかる。
戦争についての意見、靖国に対しての意見、中国・韓国に対しては、むしろ天皇主導で宮内庁の意見をかためたようにも見えますね(政治利用を恐れる富田長官に対し、積極的な昭和天皇)。
私は、昭和天皇について、国政へのかかわり方、他人に対する批評を、自己反省しながらもついやってしまう。人間らしい天皇なんじゃないかと思ったりします。
(逆に言えば、田中義一”罷免”事件以降、一貫した適切な行動を取っていたか、疑問もあります。)
他にもいろいろ読みたいですね。まだ連載続くでしょうし。
私は購読して先入観があるからかもしれませんが、この件を分祀の追い風にしようとする日経の意図も感じましたけど。
21日の朝刊では社説でそんなことを言っていますし。
20日の1面のタイトルのつけ方からしてそうだと思いますけどね。
これでもあくまで「分祀せよ」ではない、あくまで「昭和天皇の思いを大切に」なんですかねぇ・・・。
>>381
丸谷才一が20日付で藤森氏と同様なことを言ってるのが面白いですね。
384
:
名無しさん
:2006/07/22(土) 06:30:56
少なくとも、徳川義寛元侍従長の言葉と考えるのは苦しいでしょう
一族に松平姓が大量にいる徳川家の人間が、
「松平の子」「松平」などと呼ぶとは思えません。
徳川義寛氏の年齢も松平永芳氏の方が近く、慶民氏は親の世代に当たりますしね。
松平慶民(1882-1948)
徳川義寛(1906-1996)
松平永芳(1915-2005)
富田朝彦(1920-2003)
385
:
小説吉田学校読者
:2006/07/22(土) 09:27:19
>>384
靖国の部分や政治家批評は私も昭和天皇の言葉だとは思いますけれども、他人の言葉や富田氏の感想が混在しているのではないかとも思っております。国会図書館あたりで何年もかかって検証した方がいいと思う。
おっしゃるとおり、あの富田氏なり徳川氏なりが「松平」と呼び捨てにするのは考えにくいですし、「親の心、子知らず」とか突き放した言い方をするのも考えにくい。
寺崎メモ(昭和天皇独白録)や岩見隆夫不朽の名著「陛下のご質問」なみのインパクトを私に与えていますねえ。
で、昭和史を考える上で第一級の史料が出たと思いますので、秦氏と同様、分祀、合祀論議はしばらく凍結したほうが良いのではないかと、私も思います。
386
:
小説吉田学校読者
:2006/07/22(土) 09:41:24
あえて署名部分を外すが、この毎日新聞記者はバカか。内奏は口外すると政治問題化するけれども、かつて「もう時効だから」とか言って口外させて紙面に載せた岩見隆夫の名連載を掲載していたのはドコの新聞か。
で、その岩見隆夫の「陛下のご質問」によりますれば、「寸鉄人を刺す」を地で行く陛下の一言居士ぶりは怖かったでしょうなあ。
昭和天皇:22年前に少子高齢化を懸念 渡部恒三氏明かす
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060722k0000m010145000c.html
民主党の渡部恒三国対委員長は21日、東京都立川市で講演し、厚相時代の84年に行った昭和天皇への国政報告(内奏)で、昭和天皇が少子高齢化について「国民は今の生活を維持できるか」と懸念を示したことを明かした。
渡部氏は、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされる元宮内庁長官のメモが見つかった話から内奏の思い出に言及。少子高齢化に伴う年金や医療保険制度への影響について2時間程度報告したところ、昭和天皇が「大臣、そういう少子高齢化がやってきた時、国民は今の生活を維持することができるか」と質問したという。
質問を聞いて「うっと詰まった」という渡部氏は「国会では一度も答弁に困ったことはないが、天皇陛下の10秒のご質問にはどう答えていいか困った」と当時を振り返った。
内奏とは、首相や閣僚による天皇陛下への国政報告のこと。外部に内容が漏れれば天皇の政治利用につながるとされ、内容は口外しないことが不文律になっている。
387
:
小説吉田学校読者
:2006/07/22(土) 10:01:34
天皇の政治利用は厳に慎むべきで、分祀への政治利用は絶対にやめるべきでありますが、首相が靖国に「参拝」すれば「親の心、子知らず」だ。
昭和天皇 富田メモ 分祀へ政治利用の恐れ
http://www.sankei.co.jp/news/060721/sha036.htm
≪加藤氏「分祀論に弾み」 安倍氏「気持ち変わりない≫
昭和天皇が靖国神社の「A級戦犯合祀(ごうし)」に不快感を示す発言をされていたとするメモの存在が明らかになったことで、小泉純一郎首相の靖国参拝を批判するグループの「A級戦犯分祀論」が、勢いづきそうだ。これに対して小泉首相は20日夕、自身の参拝について「影響はない」と言い切り、政府筋も「皇室は政治利用しないのが一つの見識だ」として、事態の早期沈静化を図るべきだとの考えを示した。
20日、与野党からは靖国問題をめぐる発言が相次いだ。自民党の一部からは「分祀論に弾みがつく」(加藤紘一元幹事長)との声が出たが、党内の首相参拝批判派が「分祀」で一致しているわけではない。
批判派には(1)「A級戦犯」分祀(2)宗教法人格を外し、国家が護持(3)新たな無宗教の国立追悼施設建設(4)千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充−の4つの考え方があり、複雑に入り組んでいる。
「分祀論」は以前から中曽根康弘元首相が唱え、今年に入って日本遺族会会長の古賀誠元幹事長も提唱。与謝野馨経済財政担当相、森喜朗元首相らも言及しているが、首相は20日、「一宗教法人に政府として言わない方がいい」と一蹴(いっしゅう)した。
憲法の政教分離原則から政府が宗教法人の靖国神社に指示や命令ができないため、「分祀」を狙って取りざたされているのが国家護持論だ。麻生太郎外相が「一宗教法人にいろいろなことを押しつけていいのか。国がきちんとすべきだ」と唱え、古賀氏も同調する。
国立追悼施設論は、超党派議連や自民党山崎派が政策提言に盛り込み、福田康夫元官房長官も同調している。
さらに、身元不明戦没者の遺骨を埋葬している千鳥ケ淵墓苑の拡充論も中川秀直政調会長を中心に浮上している。
こうした動きに、首相の靖国参拝を支持する「平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会」は20日、総会を開き、対応を協議。今津寛会長らが21日に安倍晋三官房長官を訪ね、首相の参拝継続などを求めていくことになった。
388
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/22(土) 12:44:43
>>385
秦さんはそういう意見でしょうけど、日経は控えるという気持ちがあまりないと思うのですが。
純粋な考え方なら、あの部分を切り出して1面にしないと思うのですけど。
政教分離に関する問題に至ると、天皇も独特のポジションにいるから、天皇の言葉を受けてどうこうする、というのは微妙だと思う。
A級戦犯(とりわけ松岡や白鳥)の評価については、考え直すきっかけになるのかも。
どこから政治利用になるんでしょうね。
「天皇の発言がこうだから、こうでなければならない」という使い方をしない限りいい気がします。
靖国神社問題自分なりに整理すると、
靖国神社へ行きたいという人が多い。そこで、A級戦犯あるいは戦争指導誤導者が祀られていることが問題になる(対外的な観点と、対国民的な観点がある)。靖国神社へ行きたい&祀るべきでない人がいるということで。→それを解決するには、分祀が適切か。参拝しない、という選択肢を任意にとればいいんだけど、そうはいかなさそう。
靖国神社以外へ行きたいという人の存在。→千鳥ヶ淵活用or新施設? 過去の戦争、これからあるかもしれないことを考えると、靖国神社にすべて放り込むのは適切じゃないなー。無宗教よりも、ニュートラルなスペースの中に各宗教というのがいいと思うが。
389
:
小説吉田学校読者
:2006/07/22(土) 12:59:44
>>388
あの部分の切り抜き方ですけれども、「分祀論の背景に昭和天皇の隠れた意思がある」という説は前々からあったわけですね。徳川元侍従長の証言とかからも。昭和天皇がなぜ親拝をやめたかは昭和史の1大ミステリーといっても過言ではなく、その背景を考えると、あの切り抜き方は正しいと思います。
でも、その後の日経のはしゃぎようは、ひどいね。21日あたりから分祀イケイケドンドンであります。
あのスクープを見て、むかーし読売が元旦に「北方領土、2島先行返還で交渉へ」というスクープを放った後、社説で「4島一括返還を捨てるのか」と書いたことをなんとなく思い出しました。
で、私の友人の歴史好きは、「日曜の朝か8月15日にもっとでっかいのが来る」という噂(願望?)を昨夜電話で語っておりました。来るか聖断の裏話が。。。。
390
:
小説吉田学校読者
:2006/07/24(月) 00:01:14
今日のサンプロはひどかった。桜井氏がひどかった。メモの信憑性といいますが、「今の陛下は、あなた(加藤氏)に対して不快感を持っておられる」とほとんど信憑性ゼロの証言を繰り出すのは、ちょっとひどかった。
検証・分析は長い眼で必要ですので、一気呵成に結論を出すのは拙速であります。
で、桜井氏の言っている「加藤氏に不快感」というのは、推測としては成り立つことではあります。92年天皇訪中(これは天皇筋の意向で実現された説もありますが)の首席随員争いとかね。そこらへんは噂としてはあるのです。また大平元首相と加藤氏(大平内閣官房副長官)については、隣国韓国大統領が射殺されたとき、首相が隣国でありながら、40日抗争で弔問に行けないという、前代未聞のことをやってしまいましたので、昭和天皇も不快感を持っていたんじゃないのかなあ〜〜〜という推測は成り立つわけですけれども、そこらへんは「人物批判はしない」昭和天皇の意に背いて書き込んじゃうと「親の心、子知らずだ」
外交でなく国内問題−菅氏 靖国参拝、加藤氏も同調
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=YNS&PG=STORY&NGID=poli&NWID=2006072301002527
民主党の菅直人代表代行は23日のテレビ朝日番組で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされることについて「外国に言われたから(靖国参拝が)問題になったのではないことが明らかになった。外交と戦争責任問題はいつもごっちゃになる。昭和天皇のメモを素直に読めば、外交とは別の形で判断をされた」と述べ、靖国参拝問題が外交ではなく国内問題であるとの認識を示した。
自民党の加藤紘一元幹事長も「明らかに国内問題だ」と同調、「昭和天皇自身があまり合祀に賛成ではなかったと言われてきたが、今度のは決定打だ」と指摘した。
391
:
小説吉田学校読者
:2006/07/27(木) 07:00:32
昨日もANNで、「終戦直後、昭和天皇のNYタイムズ会見」報道。日経のスクープ以来、パンドラの箱が開いたような気がします。
この廣田弘毅の合祀の話も前々から「そうなんじゃないか」という話はありました。宮内庁で「昭和天皇実録」(非公開予定)を編纂しているのと関係があるんでしょうか?
A級戦犯、広田元首相の遺族 「靖国合祀合意してない」
http://www.asahi.com/national/update/0726/OSK200607260220.html
東京裁判でA級戦犯として起訴、処刑された広田弘毅元首相が靖国神社に合祀(ごうし)されていることについて、孫の元会社役員、弘太郎氏(67)が朝日新聞の取材に応じ、「広田家として合祀に合意した覚えはないと考えている」と、元首相の靖国合祀に反対の立場であることを明らかにした。靖国神社は、遺族の合意を得ずに合祀をしている。処刑された東条英機元首相らA級戦犯の遺族の中で、異議を唱えた遺族は極めて異例だ。
靖国神社へのA級戦犯の合祀をめぐっては今月、昭和天皇が不快感を示したとされる88年当時の宮内庁長官のメモが明らかになっている。
弘太郎氏は広田元首相の長男、弘雄氏(故人)の長男。6人いた元首相の子は、全員他界している。
A級戦犯が合祀された78年当時について、弘太郎氏は「合意した覚えはない。今も靖国神社に祖父が祀(まつ)られているとは考えていない」と話した。靖国に絡むこれらの思いは「広田家を代表する考え」としている。
広田元首相は処刑された7人のA級戦犯のうち唯一の文官。外相当時に起きた37年12月からの南京大虐殺で、残虐行為を止めるよう閣議で主張しなかった「不作為の責任」などが問われた。一方で軍部の圧力を受けつつ終始戦争に反対していたとの評価もあり、オランダのレーリンク判事は「軍事的な侵略を提唱した日本国内の有力な一派に賛同しなかった」などとして、元首相の無罪を主張する意見書を出している。
広田家の菩提(ぼだい)寺は故郷の福岡にあるが、遺族は元首相の遺髪を分けて鎌倉の寺に納め、参拝している。55年4月、旧厚生省は横浜で火葬されたA級戦犯7人の遺灰を各遺族に引き渡そうとしたが、広田家だけは受け取らなかった。弘太郎氏によると、戦犯遺族でつくる「白菊遺族会」にも参加しなかった。
弘太郎氏は「靖国神社に行くことはあるが、国のために亡くなった戦没者を思い手を合わせている。祖父は軍人でもなければ、戦没者でもない。靖国神社と広田家とは関係ないものと考えている」と話した。
靖国神社広報課は「広田弘毅命に限らず、当神社では御祭神合祀の際には、戦前戦後を通して、ご遺族に対して御連絡は致しますが、事前の合意はいただいておりません」としている。
広田元首相の伝記小説「落日燃ゆ」の著者、城山三郎さんは「広田さんのご遺族の思いを聞いて、やっぱりそうか、との思いが深い。ご遺族の言葉に付け足す言葉はない。広田さんだったらどう思うか、どうしただろうか、熟慮したうえでの考えだと思う」と話している。
392
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/28(金) 19:49:52
>>391
直接は関係ないのではないでしょうか。
内々の天皇のことばを史料として残すのはヘンだ、おかしい、冒涜だ、という意見が仮にあるとすれば、そうじゃないんだよという根拠にはなるのでは。
昭和天皇実録が公開されるとき、どのように受け取られるのかなぁ。それ以前に、宮内庁が学者に任せて編纂させると、不都合なことを消す、ってことにならないのか? 当代一流の学者に任せているのではあろうけれども。
393
:
小説吉田学校読者
:2006/07/28(金) 20:37:27
直接は関係ないと思います。
「崩御後は実録が編まれ、間違いなく、私のところにもインタビューが来る。私も年だ。メモを残しておこう」という動機付けにはなりますね。死後焼却のことと遺言しても、遺族に宮内庁職員や学者が聞き込みに来たらそりゃ残す。聞き込みに来た学者が「いやぁ、凄かったわ」とか感想を漏らしたらそりゃ取材するわね。あくまで一般論ですけど。
裏実録とでも言うべき田中伸尚の「ドキュメント昭和天皇」のようなのは、宮内庁編纂では間違っても出来ないでしょう。でも「現代史資料」くらいのものにはなってほしいなあ。
394
:
小説吉田学校読者
:2006/07/28(金) 20:39:15
>>391
自己レスですけど、どうかんがえても廣田弘毅は外交官としては無能でして、城山三郎の「落日燃ゆ」は本当に納得できませんでした。城山氏にコメント求めるなって、基本は「国士のような官僚、バンザイ」なんだから。
395
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/28(金) 21:19:07
どっかの週刊誌で丸谷才一さんがコメントしてましたが、
富田さんの遺族が、この手帳等に関しては、内容をデータ化して、それを編集するなどしていたようですね。
秘密にしておいたほうが良さそうなところは当時丸谷さんも見せてもらっておらず、そのうえで丸谷さんは事務的でつまらないなあと思ったらしいです。
今回は、生のシロモノから日経が記事にしたのでしょうけど。
396
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/07/30(日) 19:47:16
こいつら煩い。というより、マスコミが煩い。
東條の孫やら東郷の孫やら、お前ら何様だ?
後継首相は参拝停止宣言を A級戦犯の孫の東郷元局長 2006/07/30 18:29
http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/kiji.php3?&d=20060730&j=0030&k=200607309322
靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の東郷茂徳元外相の孫で、元外務省欧亜局長の東郷和彦氏が、8月1日発売の「月刊現代」のインタビュー記事で、小泉純一郎首相の後継首相に対し、靖国神社参拝の「一時停止」を宣言し、参拝を自制するよう提案していることが30日、分かった。
東郷氏は理由について「中国やアジア諸国とのあつれきを深めているこの状況は、『東洋平和』に命をささげた英霊たちが望んでいた日本の未来像だとは思えない」と強調している。
首相の靖国参拝に関し東郷氏は「一部の反発を覚悟で提案したい。小泉首相の後継者は、靖国参拝の一時停止(モラトリアム)を宣言せよ、と。そして後に続く首相も、モラトリアムを解除できると判断する時期が来るまでこの政策を継続することだ」と表明。
397
:
小説吉田学校読者
:2006/08/10(木) 07:00:29
朝ズバのメインテーマ「自由への疾走」を聞きながらこのニュースを読まれると、なんとなく参拝行っていいんじゃないかという気になるから不思議。
それはそうと、8月15日、警視庁は予定を空けているという噂が「探偵ファイル」初めとして、ネット各所で流れておりますが。。。
小泉首相 「8・15参拝」の意向を強く示唆…長崎市で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060809-00000022-maip-pol
小泉純一郎首相は9日午前、終戦記念日(8月15日)に靖国神社を参拝するとの01年時の公約について「生きている」との認識を重ねて示すとともに、「守るべきだと思っている」と述べ、8月15日の参拝に踏み切る意向を強く示唆した。長崎市内で平和祈念式典出席後、記者団の質問に答えた。
首相は01年の自民党総裁選で「8・15参拝」を公約しながらこれまで見送ったことについて、公約は「生きている」との認識を8日、記者団に示していた。9日、記者団が「公約は守るべきものと考えるか」と聞いたのに対し「公約は生きていますから。守るべきものだと思っている」とさらに踏み込んで発言。記者団が「8月15日に参拝するということか」と確認したのに対しても「いかなるものについても皆さんも公約は守るべきものと思っているんじゃないですか」と述べ、これまでの「適切に判断」との表現は用いなかった。
首相は01年4月の党総裁選の討論会で「首相に就任したら8月15日にいかなる批判があろうと必ず参拝する」と語り、これが「公約」となった。しかし、近隣諸国の反発を考慮し01年8月は13日に前倒し参拝。その後も▽4月21日(02年)▽1月14日(03年)▽1月1日(04年)▽10月17日(05年)と春と秋の例大祭などを選び毎年参拝を続けている。首相の言動に中国、韓国が警戒を強めることは必至だ。
398
:
小説吉田学校読者
:2006/08/10(木) 22:37:48
この長官「懇談」(会見ではない)は、今日発売の月刊文芸春秋の保阪氏らの座談会で「メモ報道前に日経は宮内庁に報道を通告したところ、黙認した」発言があったからに他ならない。一般論になぞらえて婉曲に批判するのがいかにも「官僚」である。
別に富田氏をことさらに神格視するものではないけれども、「生臭さ」では古賀誠並みと言われる羽毛田氏である。「小泉厚相、羽毛田老人福祉局長」「森首相、羽毛田次官」と清和会あっての人でもある。無私ではないのだ。
<昭和天皇メモ>宮内庁長官が、公表に批判的な考え示す
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060810-00000113-mai-soci
宮内庁の羽毛田信吾長官は10日の定例会見で、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされる富田朝彦・元宮内庁長官のメモについて、「長官という職にあるものとして言えば、在任中のことを外に出していくことについては、よほど慎重でなければならない」との見解を語った。
長官の「心構え」として述べたもので、「そうでなければ、陛下が長官にものが言いにくくなる」とも語り、発言の公表に批判的な考えを示した。
399
:
小説吉田学校読者
:2006/08/14(月) 22:27:01
明日はどうなるんだか。
小泉首相が靖国参拝したとしても、「歴史認識が違うんだ」くらいな感覚しかない。声高に批判も賞賛もしない私は、飼い馴らされてしまったのだろうか。
2500人態勢で警戒=靖国神社周辺−警視庁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060814-00000101-jij-pol
終戦記念日の15日、警視庁は靖国神社や日本武道館がある東京・九段地区に機動隊員ら約2500人を動員、警戒に当たる。同日午前、警備部内に総合警備本部を設置。武道館で開かれる全国戦没者追悼式に向け、交通規制やトラブル防止を図るのが目的だが、小泉純一郎首相が参拝することが分かり次第、靖国神社の態勢を強化するという。
400
:
小説吉田学校読者
:2006/08/14(月) 22:30:53
私の個人的体験から言わせていただきますと、韓国人が靖国参拝に違和感を持つのは、「軍人を祀っている」はさることながら「勝手に祀られる」に大きく違和感を持つらしいです。
別に「祀ってくれ」と頼んでもいないのに、いつの間にか神に祀られるのは、ちょっと日本人以外には分かりにくいんじゃないか。
首相靖国参拝:中止を求める集会開く 東京・明治公園
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/photojournal/news/20060815k0000m040078000c.html
小泉純一郎首相の靖国神社参拝中止を求める集会が14日、東京都新宿区の明治公園で開かれた。集まった日本、台湾、韓国の市民と、靖国神社への合祀(ごうし)取り消しを求める遺族ら約1000人は、キャンドルと人文字で「YASUKUNI NO」と描き、「今こそ平和への意思表示を」と訴えた。
旧日本軍に徴用された台湾や韓国の元軍人・軍属の遺族や、日本の戦没者遺族らが合祀取り消し訴訟を通じて結成した市民ネットワーク「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」が主催した。
台湾原住民族の合祀取り消しを求めるグループの一員として台北市から参加した陳明忠さん(77)は「日本軍の台湾討伐により殺害された台湾原住民の子や孫が、その後、日本軍の一員とされて死んだ。その被害者である原住民たちが、殺した側と一緒にまつられているのは納得できない。それを肯定する首相の参拝も認められない」と話した。
401
:
名無しさん
:2006/08/15(火) 00:41:12
靖国神社に参拝する朝鮮皇族の写真…韓国初公開
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/14/20060814000037.html
朝鮮皇族らが1941年10月に日本の皇族とともに靖国神社を参拝する様子を写した写真が韓国で初めて公開された。
写真収集家の鄭成吉(チョン・ソンギル)氏(大邱・東山病院博物館名誉館長)は13日、日本の皇族らの靖国神社参拝風景を収めた写真が掲載された『靖国神社臨時大祭記念写真帖』を本紙に公開した。
1853年の開港以後、日本が行った11の戦争における戦没者、計246万人を祀っているのが靖国神社だ。1978年に東条英機など太平洋戦争のA級戦犯14人が合祀されたため、日本の首相らが靖国を参拝することに対して韓国と中国が強く反発している東アジア外交紛争の現場でもある。
この写真帖には昨年7月に亡くなった大韓帝国最後の皇世孫・李玖(イ・グ、高宗皇帝の孫であり、英親王の息子/右から3番目)をはじめ、イ・グン(一番右)、イ・チュン(右から2番目)ら朝鮮王族3人が日本の皇族らと並んで靖国神社を参拝する写真が含まれている。イ・グン、イ・チュンは義親王(高宗皇帝の次男)の孫だ。
のみならず、この写真帖には日本に人質として連れていかれた朝鮮最後の王族・英親王の妃である李方子女史(右から2番目)も登場する。李方子女史は天皇皇后両陛下のすぐ後ろ、2番目の列で靖国神社参拝の列に加わっている。また、王族らの後に続き、太平洋戦争のA級戦犯・東条英機が参拝する姿も写真の中に収められている。
この写真帖に掲載された写真は皇室専属の写真家が撮影したもので、皇族や祭礼に出席した人にのみ配られる非売品であることが判明している。
ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は「1941年は日本が太平洋戦争を目前に控えた時期であり、戦争を前にして朝鮮人の動員を引き出す目的で強制的に靖国神社に参拝させたようだ。これは朝鮮を植民地として服属させたということを意味するものであり、絶対に自発的な参拝ではないだろう」と説明した。
朴蘭姫(パク・ランヒ)記者
朝鮮日報
402
:
名無しさん
:2006/08/15(火) 00:43:25
↓これは自発的な参拝かな。
靖国神社公式参拝関係年表
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/yasukuni/nenpyo_2.htm
平成8年11月1日 旧朝鮮王朝李玖王子 参拝
>>400
当時の状況をまとめると、
(1)当時は朝鮮半島出身者も日本人
(2)朝鮮半島での徴兵制適用は1944年4月以降
(3)1944年以前は志願制で朝鮮人士官も多くいた。
(4)戦後も日本の陸軍士官学校出身者などが政治の中枢を担った。
というわけで、いつのまにか祀られたというのは正確ではなく、
今の韓国での「韓国併合無効論」「親日派糾弾」という風潮の表れではないかと。
403
:
名無しさん
:2006/08/15(火) 02:17:03
>>400
広田弘毅元首相の遺族が、
「合祀について要望も同意もしていない。祖父がまつられていると考えていない」
と言っているように、日本人でも違和感を持つ人はいるでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060727-00000184-kyodo-soci
靖国合祀聞かれたら断った 広田弘毅元首相の遺族
東京裁判で処刑されたA級戦犯で唯一の文官、広田弘毅元首相の孫で、元会社役員弘太郎さん(67)が27日、共同通信社の取材に対し、靖国神社への広田元首相の合祀(ごうし)について「靖国から事前に合祀の連絡はなかった。聞かれていれば断った」と話し、反対の立場を明らかにした。
A級戦犯の遺族が合祀に異議を唱えたのは異例で、議論が高まっているA級戦犯の分祀問題にも波紋を広げそうだ。
広田元首相は外交官出身で2・26事件後の1936年に首相になった。軍部の政治介入は激しく、わずか1年で首相を退いた後、日中戦争時には外相を務めた。東京裁判では一部の裁判官が無罪を主張したが、48年にA級戦犯として東条英機元首相らとともに処刑された。靖国神社は78年、ほかのA級戦犯13人とともに合祀した。
(共同通信) - 7月27日19時42分更新
404
:
名無しさん
:2006/08/15(火) 02:18:49
>>403
の言葉はこちらがソース
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060806k0000m040116000c.html
A級戦犯遺族:8人が分祀受け入れ 18人中反対3人
靖国神社へのA級戦犯の合祀(ごうし)・分祀問題に関連して、毎日新聞社が合祀されたA級戦犯の14遺族に考えなどを聞いたところ、連絡できた13遺族18人(一部の遺族は複数)のうち、8遺族8人が分祀受け入れの意向を示した。反対は3遺族3人だった。「教義上、分祀はできない」とする同神社の姿勢と遺族らの意識に隔たりがある実態が浮き彫りになった。
昭和天皇が合祀に強い不快感を示したとされる富田朝彦元宮内庁長官のメモが見つかったことを受けて、一斉聞き取りを行った。その結果、合祀・分祀については、5遺族の7人が「ノーコメント」「判断できない」などとしたが、10遺族11人が判断を示した。
分祀受け入れを表明した遺族では、合祀は旧厚生省から送付された戦死者らのリストである祭神名票に基づいたもので「当初から同意したものでない」ことを理由に挙げる声が多かった。また「国民合意」や「靖国の自主的判断」を分祀受け入れの前提とする遺族もあった。ただ、自ら分祀を申し出る考えを示す遺族はなかった。
広田弘毅元首相=絞首刑=の孫弘太郎さん(68)は「合祀について要望も同意もしていない。祖父がまつられていると考えていないので、分祀と言われても『ご自由にして下さい』としか言えない」と話した。東条英機元首相=絞首刑=の二男輝雄さん(91)は「遺族から何か言うべきことではない。神社が分祀を決めたら異論を出す立場にない」と靖国の判断に従う考えを示した。
分祀反対の理由としては、平沼騏一郎元首相=終身禁固、受刑中死亡=の養子の平沼赳夫衆院議員(67)が「神道に分祀というのはなく不可能」▽板垣征四郎元陸軍大将=絞首刑=の二男正さん(82)が「合祀の手順は厳粛。分祀は認めたくない」▽東条元首相の孫由布子さん(67)が「分祀論の発端は中国の圧力。外圧に屈することになる」と述べた。【竹中拓実、反田昌平、工藤哲】
◇合祀されたA級戦犯◇
土肥原賢二・陸軍大将 絞首刑
広田 弘毅・首相 絞首刑
板垣征四郎・陸軍大将 絞首刑
木村兵太郎・陸軍大将 絞首刑
松井 石根・陸軍大将 絞首刑
武藤 章・陸軍中将 絞首刑
東条 英機・首相 絞首刑
平沼騏一郎・首相 終身禁固 受刑中死亡
小磯 国昭・首相 終身禁固 受刑中死亡
白鳥 敏夫・駐伊大使 終身禁固 受刑中死亡
梅津美治郎・参謀総長 終身禁固 受刑中死亡
東郷 茂徳・外相 禁固20年 受刑中死亡
松岡 洋右・外相 −− 公判中死亡
永野 修身・海軍元帥 −− 公判中死亡
▽A級戦犯と合祀 極東国際軍事裁判(東京裁判)で、侵略戦争を計画・遂行したなどとして起訴された政府と陸海軍の指導者28人が「A級戦犯」。48年の判決では、病死や免訴の3人を除く25人全員が有罪で、東条英機元首相ら7人が絞首刑に。靖国神社は78年10月、この7人と、受刑中や公判中に死亡した7人の計14人を合祀した。
85年8月、当時の中曽根康弘首相が初の公式参拝に踏み切って以降、中国などがA級戦犯合祀を問題視し「侵略戦争を正当化する」として反発を強めた。解決策の一つとして14人を分祀する考え方があり、当時遺族の一人の板垣正氏が他の遺族の取りまとめに当たったが、一部から異論が出て頓挫した。同神社は「神霊を分けても元の神霊は存在しており、分祀はあり得ない」としている。
毎日新聞 2006年8月6日 3時00分
405
:
小説吉田学校読者
:2006/08/15(火) 07:23:57
A級戦犯の遺族たちは「分祀は反対。でも、陛下に親拝されるような靖国になってほしい」という感じでしょうか。
ここまで脚光を浴びると、逆にテロとか不安になる。7時45分ころ参拝へ。
首相が15日午前靖国参拝へ 21年ぶり、「公約」重視
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=main&NWID=2006081501000081
小泉純一郎首相は15日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝する。首相周辺が明らかにした。首相は2001年の就任以来、年に1回の参拝を続け、今回が6回目だが、終戦記念日の参拝は初めてで、現職首相としては21年ぶり。9月退陣を控え、01年の自民党総裁選で宣言した同日の参拝という「公約」を果たす狙いがある。
昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされる元宮内庁長官のメモ判明後の参拝だけに、党総裁選や次期首相の政権運営で、靖国参拝の是非が大きな焦点になるのは確実。合祀を問題視する中韓両国があらためて反発を強めるのも必至だ。
406
:
小説吉田学校読者
:2006/08/15(火) 20:21:11
>>402
私の個人的体験なもんですので、多くは反論しませんです。向こうの人たちは「神になる」は分かるけど「祀る」がよく理解できない模様です。私も良く分かりませんが。
職務として行っていないのであれば、神道形式に則った参拝をすべきです。参拝形式は目的・効果基準に照らすと、あまり問題ではないと思います。
歴史観を靖国的なものに同調しているのかどうか、この参拝でも首相の会見を聞いても良く分からないのがかなり問題だと思います。歴史観はないのかもしれない。「いつ行っても批判されるなら、今行ってもいい」発言から、歴史観も哀悼の誠も感じない。ポーズの問題ではないでしょう、これは。
特攻隊の展示を見て涙した小泉首相と、松下竜一「私兵特攻」を読んで怒りがまず沸いた私とでは、歴史観は相容れないでしょう。ただし、はっきり言って、それだけのことで、重大課題でもなんでもないと思いますね。
「国益を損なう」論もありますが、だいたい、小泉靖国参拝で、首脳会談は出来なくても、アヒルの水かきはしているだろうし、中韓から経済制裁とか食らいましたか?
首相靖国参拝 「今日は適切な日」小泉首相、理由を説明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060815-00000014-maip-pol
小泉純一郎首相は15日午前、終戦記念日の靖国神社参拝について「8月15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならば今日は適切な日ではないか」と述べ、01年の自民党総裁選時の公約実現を優先した理由を説明した。首相官邸で記者団の質問に答えた。
近隣諸国への配慮から「8・15」を見送ってきた過去5年の参拝との整合性に関しては「最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと言ってきた。あえて15日を避けて参拝してきた。しかし、いつ行っても騒ぎにしようという勢力がいるんですから。矛盾しない」と強調した。
また、中韓両国の反発については「中国や韓国の言うことを聞けばアジア外交が良くなるとは思わない」と主張。A級戦犯合祀(ごうし)問題に関しては「戦没者全体に哀悼の念を表すため参拝している」と説明し、憲法違反との指摘には「思想信条であり、心の問題だ」と語った。
また、本殿に上がるなど04年以前の参拝形式に戻したことについて首相は「今日は戦没者追悼式もあるし、千鳥ケ淵の戦没者墓苑にもお参りする。その時にはこの服装(モーニング)で行くし、きちっと本殿に参拝するのが適切と思った」と説明。公私の区別については「総理大臣である人間・小泉純一郎が参拝している。職務として参拝しているものではない」と述べた。
407
:
名無しさん
:2006/08/16(水) 21:36:44
首相の靖国参拝、「支持」53%…読売調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060816-00000014-yom-pol
読売新聞社は、小泉首相が終戦記念日(8月15日)に靖国神社を参拝したことを受け、15、16の両日、緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。
首相の参拝を「支持する」は「どちらかといえば」を合わせて53%、「支持しない」は計39%だった。
それぞれの理由を聞いたところ、支持する人では「首相が戦没者を慰霊、追悼するのは当然」が35%で最も多く、「不戦の誓いになる」31%、「中国や韓国の反発でやめるのはおかしい」25%が続いた。
支持しない人では、「中国や韓国との関係が悪化」41%、「A級戦犯が合祀(ごうし)されている」27%、「政教分離の原則に反する」16%の順だった。
(読売新聞) - 8月16日20時28分更新
408
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/08/20(日) 11:06:46
今回のことで、特におかしく思ったのが、官邸が小泉首相靖国参拝の可否について複数回の輿論調査をしたとされていること。
個人の自由という論法なのであれば、役所を使っていろいろやるのをやめてほしい。
役所を挙げて政治的に靖国参拝の是非を検討するのはやめてほしい。
この靖国の問題はぐちゃぐちゃになってますが、実は、
・勝手に祀られること と
・役所が当然のごとく宗教にかかわってること
が大きい問題なのだと思います。
・戦争責任 については、讀賣新聞の最終報告が出たり、なかなか興味深い展開を見せていますが、そう簡単に決着することではないでしょう。
私は、現状の靖国神社じゃないところであれば、A級戦犯が明確に排除されてない形でもいいと思ってます。
>>406
小泉首相にとっては、外交カードだと思いますね。
409
:
小説吉田学校読者
:2006/08/20(日) 11:34:22
>>408
仮に靖国に行かなくても、文化流入にコンテンツ、竹島や尖閣、海洋資源の問題で色々と外交カードがあると思いますねえ。あまり歴史問題を外交カードに使うのは、日・中・韓ともにやめたほうがいいと思います。歴史は歴史であります。
410
:
とはずがたり
:2006/09/04(月) 01:11:53
靖国の糞神社には血も涙もないのか?入れてやれよヽ(`Д´)ノ
<靖国神社>朝鮮戦争で殉職海保職員の「合祀」拒否
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060903-00000055-mai-soci&kz=soci
朝鮮戦争で掃海作業中に殉職した元海上保安庁職員の遺族が、靖国神社に「戦死者」として合祀(ごうし)するよう求めたのに対し、同神社が拒否していたことが分かった。神社は遺族への回答書で、合祀範囲を「大東亜戦争まで。朝鮮戦争は基準外」と明示した。
遺族は、大阪市浪速区の会社役員、中谷藤市さん(79)。1950年10月、弟の坂太郎さん(当時21歳)が米軍の極秘要請を受け、掃海艇で北朝鮮の元山(ウォンサン)沖に出動。機雷に触れて死亡した。事故後、米軍と海保は「瀬戸内海での作業中に殉職したことにしてほしい」と求めたという。現行憲法に抵触する疑いが濃いためで、中谷さんは事故記録を照会したが、「記録はない」と回答された。
その後、除籍謄本に海保の報告として死亡日時と場所が記載されていることが分かり、中谷さんは今年2月、靖国神社に合祀を求める申請書を提出。8月25日付の神社の回答書では「その時代ごとの基準で国が戦没者と認め、名前が判明した方をお祀(まつ)りしてきた。朝鮮戦争は現在のところ基準外となるから、合祀できない」と結論付けていた。
中谷さんは「弟は戦死したのだから祀られて当然。合祀を願い続けてきた。義憤を禁じえない。再考してほしい」と、要請を続ける考えだ。[田辺一城]
(毎日新聞) - 9月3日21時0分更新
411
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/04(月) 02:56:40
>>410
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1074159913/121
↑にやや関連すること書きましたが、これで靖国神社が戦死者だと認定した者が戦後分も勝手に祀られるんなら、あんまりよろしくはないですなぁ。
412
:
小説吉田学校読者
:2006/09/06(水) 21:16:33
男児誕生。おめでとう。
これで、皇室典範改正論議はモラトリアムへ。そして、近い将来、現皇太子は、甥を皇太子にする日がやってくる。
秋篠宮妃紀子さま 男児ご出産 41年ぶり皇位継承資格者
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060906-00000017-maip-soci
秋篠宮妃紀子さま(39)は6日午前8時27分、東京都港区南麻布5の愛育病院で、帝王切開手術で男児を出産された。皇室に男子が生まれるのは、65年11月の秋篠宮さま(40)以来だ。約41年ぶりの皇位継承資格者の誕生で、順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぎ第3位。母子ともに健康に問題はない。政府が検討していた皇室典範改正案の国会提出は、当面見送られる公算が大きい。
男児は、ご夫妻の3人目のお子さまで、天皇、皇后両陛下にとっては4人目の孫に当たる。皇室の構成は、天皇陛下をはじめ計23人となった。皇室で帝王切開による出産は初めて。
宮内庁によると、男児は身長48.8センチ、体重2558グラム。出産は、当初9月下旬(妊娠40週)とされていたが、胎盤の一部が子宮口にかかる「部分前置胎盤」の診断を受け、母体への影響と胎児の成長を考慮して20日ほど早い第37週での帝王切開となった。手術は、愛育病院の中林正雄院長らの執刀で午前8時23分から始まり、同9時7分に終わった。
秋篠宮さまは午前7時10分ごろ、車で愛育病院に到着し、手術室近くの別室でお子さまの誕生を待った。男児誕生は、秋篠宮さまから電話で、公務で北海道滞在中の天皇、皇后両陛下と、住まいの東宮御所にいた皇太子さまに伝えられた。
ご誕生に伴う最初の儀式として、午後には、天皇陛下から贈られた守り刀を病院のお子さまの枕元に置く「賜剣(しけん)」が行われる。7日目の12日には、一般のお七夜にあたる「命名の儀」があり、名前と持ち物などにつけるお印(しるし)が決まる。皇室経済法に基づき、お子さまの生計費(皇族費)として、国から秋篠宮さまの10分の1に当たる年間305万円が支給される。
宮内庁は今年2月、紀子さまが第3子を懐妊し妊娠3カ月と発表。7月に「部分前置胎盤」との診断を受けて帝王切開での出産を決定、8月16日から安静を保つため入院していた。秋篠宮さまと紀子さまは90年6月に結婚。91年10月に長女眞子さま、94年12月に二女佳子さまが誕生した。
413
:
名無しさん
:2006/09/06(水) 21:40:06
>>412
野暮なツッコミですが、皇太子にできるのは子だけですね
414
:
小説吉田学校読者
:2006/09/06(水) 21:45:40
>>413
書いた後に私も気づきました。
さらに言えば、皇位継承順位も、新宮第3位、は第2位の秋篠宮の後です。
お詫びして訂正いたします。
415
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/06(水) 23:07:34
まさに、
>>334-335
で指摘したような流れですね。
>>326
で出てきた「愛子天皇の子供が男でも天皇になってはいけないのはおかしい」と言うような総理大臣の下で改正されなかったのは良かったですね。
このスレじゃないかもしれないけど、かなり前、秋篠宮の子供が男子であれば問題はあらかた解決するという意見に私が反論した覚えがありますが、やはり解決してないと思いますね。側室制度の導入、でなければ、一本の糸を本当に大事にして子供(男子)づくりに励まれなければならない状況です。
改正議論のタイミングとしては、女子の結婚時期のちょっと前が考えられます。
まず、今の論調の主流は、男子がいるんだから世継ぎは男子でしょうという話。世間の感覚としてそうですから、今後、皇太子→秋篠宮→その子 とつなぐ形は、皇太子のほうに男子が生まれない限り既成事実になっていくでしょう。
それを補う形でどう改正するかという議論になるでしょうから、愛子・眞子・佳子各内親王を皇室内に残すということが図られるでしょう。
その際、男子が絶える場合の処置が定められるかどうか?
また、女子の宮家を残すにしても、男系の血筋のことを考えると、やはり旧宮家男子の存在がクローズアップされざるを得ない。
ということで、眞子内親王成人となる5年後が議論開始の目処でしょう。婚姻適齢になる来年とかでもいいですけど。
それにしても、長子優先でいいとか言ってたのに男子が生まれたらいかんと言い出す人たちって、何を考えてるんだろう。
何の疑問も抱かず愛子天皇とか言ってて恥ずかしくないのか。今回のことで、愛子天皇の可能性はほぼゼロになったのだが・・・。
416
:
小説吉田学校読者
:2006/09/06(水) 23:37:36
>>415
私も、愛子、眞子、佳子各内親王の婿様選びが微妙に皇室典範改正とリンクしながら進むと思います。これで立ち消えにはならない。
書きながら気づきましたが、とりあえずは皇太子と名のつく皇族がいない数年を私たちは経験することになるんですねえ。
417
:
とはずがたり
:2006/09/07(木) 01:23:27
次世代は皇太子ではなく皇太弟ですねぇ〜。古代中世日本史みたいで萌え♪
皇太弟ってATOKで変換出来ないのはどういうことだ?!
418
:
とはずがたり
:2006/09/07(木) 16:49:40
傍系の皇族方が嫡流に憚って第3子以上を生んでこなかったのが40年間に渡る親王の誕生無しを生んだのではないか?(調べたら高円宮が3人女の子をもうけているけど)
今回の皇太子妃の病気?で秋篠宮にゴーサインがでたのであろう。生み分けとかしたとは思えないけど,男子でまぁ良かった。併し新宮一人というのはややリスクが高いような気がする。紀子妃殿下にはもう一頑張りしてもうお一人親王をお産み頂いた方が良い鴨。其れが駄目なら片言丸氏推奨の側室制度か。
側室制度を設けなくても傍系が子供を2人で我慢するのを辞めれば皇統の断絶のリスクをかなり減らせるような気がします。またちょっと違うけど,足利将軍家の血筋が絶えた場合は,傍系の渋川氏更には吉良氏から出すことになっており(御一家),家康も御三家,吉宗も御三卿を立てたが,そういう家格の家がないのもリスク要因かも。伏見宮や近衛家なんかがそれに相当しうると思うのだが。近衛家は宮家ではなく家臣だが皇室から養子を受けたので伏見宮よりも血統は近い。
皇室41年ぶり親王さまご誕生 秋篠宮家第3子 皇位継承3位
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060907-00000000-san-soci
秋篠宮文仁親王殿下(40)と同妃紀子殿下(39)の第3子が6日午前8時27分、東京都港区の愛育病院で誕生された。お子さまは親王(男児)で、体重は2558グラム、身長は48・8センチ。皇族では初の帝王切開によるご出産となったが、母子ともにお元気。皇室では昭和40年にお生まれになった秋篠宮さま以来、41年ぶりの男子で、皇位継承順位は皇太子さま、秋篠宮さまに次ぐ第3位。天皇、皇后両陛下には4人目の孫。皇室は23人となった。
宮内庁によると、手術は6日午前8時23分に始まり、同9時7分に終了。紀子さまは術後、執刀した同病院の中林正雄院長に「大変ありがとうございます。気分も良好です」と話し、手術室から個室の病室に戻られた。約1週間で抜糸となり、10日前後で母子ご一緒に退院される予定。
病院の控室でご出産の報告を受けた秋篠宮さまは静かに「ありがとう」と話され、すぐに第16回「国際顕微鏡学会議」ご出席のため北海道滞在中の天皇、皇后両陛下へ電話で伝えられた。両陛下は非常に喜ばれたという。
皇太子さまにも宮さまが電話で報告され、皇太子ご夫妻もとてもお喜びだった。
長女の眞子さま(14)=学習院女子中等科=と二女の佳子さま(11)=学習院初等科=は6日午後、秋篠宮さまに付き添われて愛育病院を訪問し、出産を終えた紀子さまを病室にお見舞い。生まれたばかりの弟とも対面された。お二人はそれぞれ始業式があり、弟の誕生については宮内庁の職員らを通じて知らされたという。
「賜剣の儀」も同日午後に行われ、お子さまに「守り刀」が贈られた。
(産経新聞) - 9月7日8時2分更新
419
:
名無しさん
:2006/09/07(木) 23:29:51
>>418
近衛家でも、戦国時代の後陽成天皇までさかのぼるんですよねぇ…
そこまで戻らないと男系がいないというのも、ある意味奇跡的でしょう。
420
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/07(木) 23:34:07
>>418-419
近衛家に行った養子というのは、男子なおかつ新しい話なのでしょうか?
421
:
小説吉田学校読者
:2006/09/07(木) 23:44:54
>>417
皇室典範改正ですけど、皇太弟の定義とかは載っていないんですね。初めてさっき知った。やっぱ改正論議は高まるんかな?
422
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 00:03:51
>>418-419
後陽成天皇は戦国時代と云うより安土桃山から江戸時代に掛けての天皇ですね。
当時の貴族社会は当然一夫多妻ですから,子供の母親が正式な奥さんであることは例外的でしかも貴族ではない家女房だったりする場合も多いです。
それにたいして後陽成天皇の正式な奥さんが一番家格の高い近衛家から嫁入りした中宮中和門院近衛前子でそれが皇統を継いだ後水尾帝と近衛家に養子にいった近衛信尋を産んだという訳です。(近衛前子の弟信尹に嗣子が無かった為)
なんか言葉で説明すると解りにくいですけど・・図に書くと一発なんですけど。
>>420
皇室典範上では皇太弟も皇太子扱いなんでしょうかね??
423
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/08(金) 00:29:37
>>422
「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。」と書かれてるだけに、そうもいえない感じですね。
皇太子も皇太孫もいない場合は、かかれてません。皇太弟、皇太叔父、皇太甥とか、そんなふうになっていくからかな。
皇兄弟が継承できるのは書いてあるから、継承できることには違いありませんが。
立太子のほうも、立太弟っていうのかな? 検索したら日本語に一例、あとは中国語。
424
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 01:22:05
「皇太子も皇太孫もないときは,皇嗣たる皇弟を皇太弟という」という一文が抜けている感じになんですな。
少子高齢化時代は皇子が欠けて皇孫が皇嗣になるケースより皇子・皇孫が得られず皇弟が皇嗣となるケースが多いと思われるが皇室典範制定時には夫れを配慮出来なかったのでしょうかねぇ?
425
:
名無しさん
:2006/09/08(金) 01:25:27
直接関係ないですが、英国などの王国の太子を皇太子と呼ぶのは
どうしてなんでしょうね。素直に王太子と呼べばいいのに…
王子→皇太子→国王 というのは、やっぱり変でしょう。
426
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 01:25:34
今はそんな役職有るか知りませんが皇太子傅(皇太子の面倒を見る役)は皇太弟の場合は皇太弟傅というのかとgoogleで調べたらちゃんとそういう用語が引っかかりました。
けど,弟を皇太弟にする場合も「立太子」を使っている様な気がします。
427
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/08(金) 01:33:30
>>424
逆に当時は、秩父・高松・三笠との関係もあり、弟への継承を意識させる言葉は生々しく感じられ、忌避されたのかもしれないですね。
428
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 01:33:57
>>425
成る程,云われてみればそうですな。気付きませんでした。
429
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 01:35:59
>>427
成る程。そっちの方が正解でしょうかね。
終戦直後,戦争責任をとって昭和天皇が退位なんて話もありましたしね。法案起草者も躊躇われたのかもしれません。
430
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/08(金) 01:43:18
>>425
大津事件やサラエヴォ事件を戦前にどう教えていたか、調べればいいかもしれない・・・
と思ったら、あれは帝国・皇帝だから、皇太子でいいのか。
とすると、そのへんの区別をつけずに語呂がいい皇太子に安易に統一してしまったという感じでしょうかね。
431
:
とはずがたり
:2006/09/08(金) 01:49:09
英語等では区別してるんですかねぇ?帝国でも王国でも公国でもプリンス・プリンセスだったりするとそもそも太子に関しては使い分けしないと云う事になりますが
432
:
小説吉田学校読者
:2006/09/10(日) 21:41:21
なんか、今日の相撲中継、アマチュア楽団の練習先で見て、そのとき、団員の発言で気づいたので恥ずかしいんだけど、後20年も経ったら、現皇族で男系は皇太子家と秋篠宮家だけになっちゃうんだなあ。すっごい大変なことじゃない?
433
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/10(日) 22:56:16
あら?
>>415
では「一本の糸」と表現しましたが,それがつながらなければ終わってしまうわけですよね。
それから,今後10年経って女系容認にしようかなぁつったって,娘らが嫁に行ってからでは処置にならないわけで。
眞子内親王の婚姻適齢(だと思われる)は来年の到達ですので,さっさと議論をしたほうがよい所以です。
泥酔論説委員さん9/7が適切に指摘されるように,旧宮家復帰も視野に入れて,さっさと議論したほうがよい。
イノセントに誕生を喜ぶのが素直な一般の見方ですが,実は,解決・猶予と言って放置していたら余計に問題がこじれる状況になっていると思います。
「秋篠宮とその子に継がせたいけれど,断絶しないように女系も一応容認/さらには旧皇族も復帰させて保険をかける」となれば,”妥当な感じがする結論”を表現するルール・婚姻斡旋政策がかなり複雑化しそうだからです。
さらには,女系皇族を残しておくという案が当然出るでしょうが,そこで子供が生まれた場合の処置が,なかなか難しい。
数年後には,「シンプルな長子相続か,否か」という議論でとどまっていたこれまでの状況が古き良き状況として思い出されることになるかもしれませんね。いや,なるとしか思えませんね。
側室制度はその中においてはシンプルな解決法です(笑)。まぁ科学が発達してきてるから,「側室作らない」でも「旧皇族復帰」と「注意深く種の保存(人工生殖等最大限努力)」でいけるのかもしれないですけど・・・。
434
:
名無しさん
:2006/09/11(月) 01:04:10
仮に新皇子が男性不妊症だったら、それから側室を作ろうが糸は切れてしまいますね。
これが20年後に判明、じゃすでに手遅れでしょう。
究極的にはクローン技術ですかね?
435
:
とはずがたり
:2006/09/11(月) 14:14:50
>>432-434
>後20年も経ったら、現皇族で男系は皇太子家と秋篠宮家だけになっちゃうんだなあ。
そうでもしとかないと皇族だらけになっちまいますし,それでいいんじゃないですか?旧来の貴族もそうやってメインストリームから外れた家系は消えて行きます。
また新皇子が不妊の可能性も当然考慮にいれないといけないでしょうから,秋篠宮家にももう一頑張りして貰わないと。
436
:
小説吉田学校読者
:2006/09/11(月) 23:21:13
>>435
まあ、50年経つと、男系皇室は秋篠宮家だけになってしまうんだなあ。歴史の終焉を見ることになるのか、はたまた蘇生するのか。怖いもの見たさの感もあるが、幸運なことに、たぶん、私はこの世にいないか棺桶に片足突っ込んでいるだろう。
437
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/11(月) 23:37:03
現皇族ですとそうですけど、半分程度の確率で旧皇族復帰があるんじゃないでしょうか。
私は、ホンワカした国民統合のシンボル的皇族ってものに<個人的には>価値を見出さないですね。
歴史を縫ってきた天皇位って意味で感慨を持ちます。旧皇族筋であっても系譜を接げれば立派です。
438
:
とはずがたり
:2006/09/11(月) 23:46:25
愛子嬢を旧宮家の誰かが娶ったりすると皇統を嗣ぐ資格(この場合国民的合意)が出てきそうですねぇ。
片言丸氏の発言を読んで云われてみれば自分もホンワカした国民統合のシンボル的皇族ってものに<個人的には>価値を見出」してないっすね。
歴史上の登場陣ぶるに対する興奮の延長上に現皇室が居るという感じかなぁ。
439
:
小説吉田学校読者
:2006/09/12(火) 22:56:35
>>438
歴史上の天皇の延長上に今の天皇がいるのであって、私もそこに、天皇家を尊重しなければという思いを抱くわけであります。
前の行ですが、「尊敬」をちょっと考えて「尊重」と書き換えました。
元首でもシンボルでもいいけれども、ぜひとも「威厳」だけでとどめて頂いて、文化や祭祀については構いませんし、そうでなければならない部分もあるのは十分承知しておりますが、どうか政治では二度と神様になっていただきたくないと思います。
さて、「悠仁」と見て、ゆずを思い浮かべた人は若い人、阿久悠を思い浮かべた人は古い人。
秋篠宮殿下は細る男系をなぞらえて「長い長い下り坂を、紀子を自転車の後ろに乗せて」と歌ったとか歌わなかったとか。
悠仁さま:「長く久しく」との思い、列島駆けめぐる
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/koushitsu/news/20060913k0000m040112000c.html
秋篠宮ご夫妻の長男は「悠仁(ひさひと)さま」と12日決まった。同じ字の名前の人たちは「光栄だ」「感激した」などと驚き、出産を控えた女性からは「子どもの名前の参考にしたい」との声も漏れる。ご夫妻の「長く久しく」との思いが込められた名前は、列島を駆けめぐった。
日本フィルハーモニー交響楽団の首席ビオラ奏者、後藤悠仁(ゆうじ)=本名・朋俊(ともとし)=さん(45)は「びっくりした。楽団の仲間からは『名前に恥じないように行動してくれ』と言われた」と笑顔。約20年前、同楽団に入ってすぐ活動名を「悠仁」にした。「心からおめでとうございますと申し上げたい」と祝福した。
アテネ五輪のNHKテレビ報道テーマ曲「栄光の架橋(かけはし)」などで知られる人気デュオ・ゆずの北川悠仁(ゆうじん)さん(29)は「とても感動し、光栄に思っております。これからも、この感動を胸に、名に恥じぬよう、精いっぱい音楽活動を続けていきます」とのコメントを発表した。
兵庫県姫路市の能面作家、筒井悠仁(ゆうじん)=本名・康夫=さん(57)は、師匠の「仁」を受け継ぎ、「悠」は「ゆったりとした」などの意味が気に入って7年ほど前から使っている。「皇室の方は『仁』の字を付けるから、そうなったら良いなとは思っていたが……。感激です」と声を弾ませた。
東京・銀座では、デパートの電光掲示板が、「悠仁親王殿下」と名前が決まったことを伝えると、買い物客らが足を止めて見入った。12月末に女児出産を控える岡山市の長内路子さん(27)は「『悠』の文字がとても現代的だと思った。生まれてくる子どもの名前の参考にしたい」と笑顔を見せた。
夫婦で買い物に来ていた埼玉県北本市、美容業、門司孝さん(57)は「ご夫妻が名前に込められた思いは、子どもを持つ親なら誰でも同じだと思う。男女に関係なく、元気にすごしていただければ」。近くに住む佐々木祐子さん(50)は「おおらかで良い名前だと思った。親王さまの立場はいろいろと大変だろうが、字の意味の通り、のびのびと育っていってほしい」と話した。
悠仁さまのお印(しるし)に決まった高野槙(こうやまき))は、日本固有の常緑高木で、3〜4月に花を咲かせる。本州(福島県以南)、四国、九州(宮崎県以北)に分布、和歌山県の高野山に多いことから、この名が付いた。皇居の宮殿近くや赤坂御用地にも植生。木材は、耐水性があり風呂おけなどに使われる。
高野山の霊宝館前には、1923年に故秩父宮さまが植樹し高さ約20メートルにまでなった高野槙がある。高野山真言宗総本山金剛峯寺の「奥の院」を守る日野西真定・維那(ゆいな)(82)は「江戸時代に寺院が山から清水を引くのに、高野槙の樹皮を使ったほど腐りにくく丈夫だ。高野山を代表する木がお印に選ばれたことは大変に名誉なこと。親王さまが、この木のように丈夫で健やかにお育ちになることを願います」と喜んだ。
440
:
小説吉田学校読者
:2006/09/12(火) 22:59:10
(続き)
命名の儀の本日、皇太子殿下は山登り。ささやかれる「透き間風」説に、殿下は「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず」と歌ったとか歌わなかったとか。
難産の子は良く育つ。
◇最後まで迷っていた秋篠宮さま
名前は難産だった。長女眞子さまの名前を決めた時は、「ひらめき」だったという秋篠宮さま。中国の古典などからの出典ではなく、「ひさひと」という音の響きを大事にした。宮内庁職員が、歴代の天皇や皇族の名前として使われていない字を示すと、「もうちょっと調べてほしい。他の漢字はないのか」と最後まで迷っていたという。
最終的には、三つぐらいの漢字の候補の中から「悠」という「ゆったりとした」意味の字を選んだが、7月から考え始めて足かけ3カ月。両陛下への報告も「命名の儀」の前日だった。
その「命名の儀」。皇太子ご夫妻の長女愛子さまや秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま、二女佳子さまら宮内庁病院で午前中に行われた時と違い、民間の愛育病院のため、面会時間(午後3時以降)を配慮し、ご夫妻の意向で同3時半過ぎに設定された。紀子さまは入院中にもかかわらず空色の絹の洋服姿で臨み、5分ほどで終わった。
441
:
とはずがたり
:2006/09/12(火) 23:09:57
帝王学をみっちりと仕込まれた皇太子に対して秋篠宮はそうではないし,命名権の問題やら入院やら,はっきりと皇太子家と秋篠宮家には差が付けられている。
これを今後どうするのでしょうか。今上天皇が崩御して皇太子が即位した後,秋篠宮が皇太弟に立太子された時に色々皇太子家並の扱いを受けるようになると云う事か?しかし悠仁の教育はそれからでは遅いだろうしどうするんでしょうか?5歳ぐらいになった時,現皇太子家に世継ぎが生まれてなかったら将来天皇になるものとして皇太子家並の教育するのでしょうかね?
442
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2006/09/13(水) 00:50:59
悠ってのは私のセンスから外れます。
私は、天皇・皇族の名前なんてのは、もうちょい素朴な名前がふさわしいと思う。
これでは、お洒落な名前の一種だ。
「ひさ」という読みから思いついて、それに字を宛てたというところもかなり現代的だ。
ただ、秋篠宮家らしいという感じもある。無理してないという意味ではいいかな・・・。
>>439
私も、皇族が尊重されたほうがいいだろうとは思っています。
しかし、こっちは逆に、「歴史を縫ってきた天皇」だから尊重されるべきなのではなくて、普通の人がホンワカと喜ぶ状態が現実にあるから、尊重されたほうがいいと思っていたりします。
仮に、日本が自分やとはずがたりさんのような見方をする人ばかりになったら、天皇は趣味の研究対象にしかならんでしょう。
(まっ、私は共和制なんてことは言いませんけどね。無くなれと思ってるわけではないし。)
>>441
解答しづらい問題をどんどん出しますねぇ〜(笑)。
>今上天皇が崩御して皇太子が即位した後,秋篠宮が皇太弟に立太子された時に色々皇太子家並の扱いを受けるようになると云う事か?
「東宮」扱いされるのは、そうなってからでしょうね。
ただ、実質的にどういうことになるのか? こんなもん輿論調査してもしょうがないし・・・。
有識者会議の発想なら、こんなふうに「帝王学」を施す対象が定まらなくて困ることもあるから、いっそのこと長子継承にしてしまえってことでしたね。
今まさにそれが喫緊の問題なのだから、今こそ皇室典範改正すべきかもね。まぁこの記述は冗談ですが。
443
:
とはずがたり
:2006/09/13(水) 03:01:25
俺は歴史好きとして天皇家に自然と沸き上がる尊重の想いみたいのがありますけど,天皇家を崇拝しろって云ってる右翼連中に拭いがたい嫌悪感を感じますので,何なら共和制でも良い派です。
この辺の屈折した想いはどう表現したら良いんだろか。。
そもそも近代民主主義社会と天皇家は相容れないものではないか?
長男と次男の決定的な差を見ても身分制社会が如何に理不尽で厳しいものかを現代に於いて発露している所に最大の意義が有るんじゃないでしょうかね?誰もそんな風に見てないけど。
ホンワカよろこんで貰ってる人畜無害な皇室ってのが現代風なんでしょうけど激烈な権力闘争を生き抜き文化を伝承してきた皇族を含めた公家連中の活き活きとした活躍ぶりと比較して物足りないっす。
こういうアンビバレントな感情が未だ自分の中で整理されてません。
444
:
とはずがたり
:2006/09/13(水) 04:16:21
>>440
>7月から考え始めて足かけ3カ月
7月位には男子と判って居たのかな??
445
:
帝王学
:2006/09/14(木) 03:06:02
帝王学があるというのは嘘。
普通の生活をしているだけで、何も無い。
学者や認証官の話を聞いて耳学問をしているだけ。
神主の親分として、釈を左右に振るのは、小学生でもできる。
血統だって、9人の側室で男系をだましだまし続けてきただけ。
地震や台風や核ミサイルが来たら、神も仏も天皇も帝王学もない。
国民全体の共済保険をもっと充実させるのが先決。
446
:
小説吉田学校読者
:2006/09/21(木) 21:08:10
「式を静粛に保つ義務」は大前提として存在しますし、生徒を扇動する教師はおかしいと思います。
それを考慮しても、最近の東京都教委の通達と職務命令は、だんだんエスカレートしてきて、ちょっと常軌を逸していました。
少なくとも「生徒の不起立で教師が懲戒」「教師の不起立で管理職が懲戒」はやめるべき。
だいたい「国旗に向かって起立」なんてね、おかしいですよ。どう考えても、それを通達で行うのは内心の自由を侵している。だいたい、校長が校旗をはためかせたことがあるのか。
さらにこの訴訟、都側の証人がそろいもそろってボロボロ。枕並べて討ち死にしていたのも敗訴の原因でしょう。これが民事や行政訴訟です。
国旗掲揚時の起立強制は違憲、地裁が都に賠償命じる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060921-00000009-yom-soci
入学式や卒業式の国歌斉唱の際、教職員は国旗に向かって起立しなければならないなどとした東京都教育委員会の通達は違法だとして、都立学校の教職員ら401人が、都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償を求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。
難波孝一裁判長は、「通達や都教委の指導は、思想・良心の自由を保証した憲法に違反する」との違憲判断を示した。その上で、「教職員は国旗に向かって起立し、国歌斉唱する義務はない」と述べ、退職者32人を除き、起立や国歌斉唱の義務のないことや、処分の禁止などを認めた。
さらに判決は、「違法な通達や校長の職務命令で、原告は精神的損害を被った」とも述べ、請求通り、原告1人当たり3万円の賠償も認めた。
(おまけ)「赤旗」より 私が都側の弁護人だったら必要以上に通達を説明させない。反対尋問で憤死するのが分かりきっているから。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-03/14_01_2.html
447
:
とはずがたり
:2006/12/09(土) 11:26:56
よくなってるのかねぇ?
<雅子さま>きょう43歳の誕生日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061209-00000026-mai-soci
皇太子妃雅子さまは9日、43歳の誕生日を迎えた。適応障害による静養は3年になり投薬治療を続けているが、この1年の感想を記した文書で、「公務を含め、活動の幅を少しずつ広げてまいることができました」と回復の手応えをつづった。
文書では、5歳を迎えた長女愛子さまについて、「毎日楽しく幼稚園に通っております様子を心からうれしく思っております」とし、自身も幼稚園の送迎や行事に参加することが「喜びになっております」と記した。
今夏のオランダ静養については「ゆっくりと貴重な時間を過ごすことができました」とし、同国のベアトリックス女王らに感謝の気持ちをつづった。また、昨年から続けている国連大学での聴講を、「今日の社会が直面しているさまざまな課題について考える機会を与えていただいていることは、私にとり有意義」と位置づけた。
9月に誕生した秋篠宮ご夫妻の長男悠仁(ひさひと)さまについては「愛子にもかわいらしいいとこが新たに一人できましたこともうれしく、今後のお健やかなご成長を心よりお祈りしております」と祝福した。
医師団が発表した見解は、「徐々にではありますがご回復に向かわれており、今後も焦ることなくひとつひとつ可能な活動を積み重ねていただくことが重要」とした。ただ、活動後は予想以上に疲れが残り、思うように行動できないこともあり、「引き続きご治療が必要な状態」としている。【桐野耕一】
(毎日新聞) - 12月9日8時43分更新
448
:
小説吉田学校読者
:2006/12/09(土) 11:29:12
>>447
良くはなっていると思いますが、インサイド情報として、ネタ元はかけませんが、「治ったとしても母親として・・」という声が宮中からあるらしいです。
449
:
とはずがたり
:2006/12/30(土) 19:48:55
「18歳で成人」改正検討へ 選挙は?飲酒は?対象広く
2006年12月30日11時01分
http://www.asahi.com/national/update/1230/TKY200612290247.html
「成人」の年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案が年明けから検討されることになった。来年の通常国会で国民投票法案が成立した場合、そこから3年以内をめどに改正をめざすという。改正されれば、18歳が法律上の大人となり、結婚や財産権、飲酒・喫煙など幅広い分野で社会を変えることになる。しかし、同法を所管する法務省内部でさえ改正に慎重な意見があるうえ、他の官庁が扱う法律にも影響が及ぶため、政府部内で方向が決まるまでには時間がかかりそうだ。
成人年齢引き下げで18歳ができること
「年齢20歳をもって、成年とする」――。民法は1896(明治29)年以来、社会の一人前のメンバーを決める基本になっている。
成人年齢引き下げの検討はそもそも、国民投票法案を巡る与野党の議論の中で、投票年齢とあわせて「3年を目途に公職選挙法、民法などの関連法について措置を講ずる」と付則で示す修正案が持ち上がったことから始まった。
法務省内には「日本の基礎にかかわる問題を、ほかの法案の議論に引きずられるかたちで考えるべき話なのか」といった疑問の声は根強い。一方で「こういう外的要因でもなければ、変えられなかった。いい機会だ」と歓迎する声もある。
いまの民法では、結婚できる最低年齢は「男性18歳、女性16歳」だ。ただ、未成年の場合は親の同意が必要だ。結婚すれば未成年でも「成人に達したと見なす」とされ、財産の処分などの法律行為が成人並みにできる。
成人年齢が18歳になれば、結婚の際、女性だけに父母の同意が必要な場合が残るという、いびつな構図になる。このため、男女の婚姻最低年齢を統一すべきだという議論につながることは間違いなさそうだ。
親の同意なく財産を取得・処分する権利を得るのも、成年になってからだ。未成年が親の同意なく結んだ契約は取り消すことができる。18歳でも自由に財産を処分できるようになれば、「若者の経済活動が促進される」という意見の一方で、「若者の保護の観点からは不十分だ」との議論も出てきそうだ。
養子縁組で養親となれる年齢も18歳に引き下げられることになる。
また、民法だけではなく、ほかの法律に関する分野にも議論は広がりそうだ。
満20歳未満に飲酒・喫煙を禁じているのも、民法上の「成年」の考え方を前提にしたものだ。年齢にあわせて引き下げるなら大きな問題になりそうだが、引き下げないのであれば、どういう理屈がありうるのか、改めて議論を呼ぶことになる。
また、選挙権を20歳以上と定めている公職選挙法の改正も議論されそうだ。あわせて裁判員の対象年齢も引き下げられる可能性が出てくる。裁判員は、選挙人名簿から無作為に選ばれるからだ。
さらには、20歳未満を「少年」と定めた少年法にも影響しそうだが、政府部内では「立法当時と比べて18歳、19歳の少年の精神的成熟度が変化したとは言いがたい。適用年齢引き下げの必要性を説明するのは難しい」との見方も強い。
451
:
とはずがたり
:2007/02/02(金) 03:51:26
日本の皇室もやっと此処迄現代化したか。おじさんは承子ちゃんをおーえんしちゃうぞ。
週刊文春が報じた 女性皇族「奔放HP」の中身 (J-CAST)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/weekly_magazine/story/20070201jcast200725277/
英国留学中の高円宮承子(つぐこ)女王が記したとされるミクシィのページやウェブサイトの赤裸々な内容を週刊誌が報じ、波紋が広がっている。だが、報じられたウェブサイトにアクセスしてみると、承子さまの「奔放ぶり」を表す記述が次々に見つかった。
最初に、承子さまのプロフィールを確認しておきたい。承子さまは1986年3月8日、故・高円宮憲仁親王と、久子様との間に、3姉妹の長女としてお生まれになった。学習院女子高等科を経て、04年4月から英国・エジンバラ大学にご留学中だ。07年1月には、初めて一般参賀にお出ましにもなっている。
「承子さまが作成なさったことを、確認しております」
承子さま作成のウェブサイトを発掘したのは、週刊文春(2007年2月8日号)。記事の内容は、同誌が承子さまのものと見られるミクシィのページを発見、そこには別のウェブサイトのURLが書かれており、そこは赤裸々な内容の自己紹介や日記が掲載されている、というものだ。さらに、同誌ではJ-CASTニュースに対して
「(ミクシィのページや、ホームページの日記やプロフィールが『「承子さまご自身が作成なさった』ことを、編集部として)確認しております。根拠につきましては、誌面に書いてあるとおりです」
と語る。
「根拠」は、日記に書かれている内容(学歴や家族の生年月日など)と承子さまのものと一致することや、ミクシィ経由で、ページの持ち主にメールを送信し、承子さまが書いたと見られる内容のメールが返信されてきたことなどを指すと見られる。
同誌が主に紹介しているのは、承子さまが親友と共同で運営している、ダンスチームのウェブサイトに掲載されている日記とプロフィール。プロフィールには、PC版とケータイ版と2種類があり、それぞれ違う内容が書かれている。同誌で紹介されている「赤裸々な内容」をざっと挙げると、こんな感じだ。
「昨日はねー、アジアン(ってか日本人と中国人)でめっちゃ騒いだ。王様ゲームやったけどエロ系一切なし(カップルがいた為。)でつまんなかった」(05年10月24日の日記)
「好きな人がゲイ…。終わってる」(06年1月20日の日記)
「私も親さえ良いなら胸にヤモリの刺青入れたいんだけどなぁ〜…間違いなく縁切られますからね(笑)」(06年8月1日の日記)
「タイプ→カッコ可愛い年下」(ケータイ版プロフィール)
「彼氏→三角関係(むしろ四角関係)のすえ泥沼化して終わった。ビバ波乱万丈(嘘)」(ケータイ版プロフィール)
スクープした週刊文春も苦言を呈する
この内容だけでも、十分驚きだが、週刊文春が紹介しているウェブサイトには、週刊文春も書いていない、さまざまな承子さまの姿があった。
例えば、プロフィールに書いてあるごく一部を紹介してみよう。
「【ここだけの話】 年下(男ね。)に飽きてきました・・・」(PC版)
「【休日の過ごし方】 毎日が休日です(勘違い。)」(PC版)
「彼氏→タバコ嫌いな彼氏ができた!禁煙してるよ、マジで☆」(ケータイ版)
一方で、このように心優しい面も見せてはいる。
「【尊敬する人】両親。それからAちゃん(編注: ウェブサイトにはニックネームで記載)(地元の友達。バレエ時代の先輩)いなきゃ生きてけない親友&相方。忘れちゃいけないダンスの師匠方・・・。ってか、みんな尊敬してます。だから付き合ってるんです」
全体に「ぶっちゃけ過ぎ」といったところだろうか。スクープ記事を書いた週刊文春も、このように、承子様に苦言を呈している。
「女性皇族の振る舞いとしては、にわかには信じがたいエピソードも山ほどあったが、ここでは紹介を控える。海外で羽を伸ばされたいお気持ちも分かるが、自ずとご留意なさるべきこともあるのではないだろうか」
なお、週刊文春では
「現段階(2月1日夕)で宮内庁から掲載記事に関して、申し入れを含む抗議はございません」
としている。
[ 2007年2月1日20時44分 ]
452
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/02/03(土) 09:57:32
>>451
留学したら野放しなんですかね。
ただ、国内で人格形成されたはずだが・・・。
寛仁親王もスキーの会報誌に侍女を裸にさせて遊んだとか書いてた覚えがあるし、案外奔放なのか。
453
:
とはずがたり
:2007/02/03(土) 11:55:20
へぇ〜,そんな事が>侍女を裸に
それにしてもmixiのページって何処なんでしょうかねぇ?
454
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/02/03(土) 12:06:06
もう消滅したらしいですよ。
455
:
とはずがたり
:2007/02/03(土) 12:10:36
なるほど,そらそうでしょうけどちょい残念。
今頃こってりとお灸を据えられてるとこなんでしょうか。
456
:
片言丸
◆MACDJ2.EXE
:2007/02/03(土) 12:14:25
あんまり効かないタイプに見えますけどねぇ〜。
イギリスで孕んじゃったらどうなってたんだろう。中絶すんのかいな。
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