[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
農業総合スレ
1212
:
荷主研究者
:2011/04/23(土) 13:43:23
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t12011.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
飼料品薄 畜産に打撃「餌を腹いっぱい食べさせたい」
牛の体調を気遣いながら飼料を与える菅原さん=3日午前11時30分ごろ、栗原市若柳
機材が散乱したままの石巻工業港食品飼料団地。生産再開の見通しは全く立たない=1日午後1時ごろ、石巻市三河町
東日本大震災のダメージは、内陸部の畜産農家にも広がっている。石巻工業港に林立する飼料工場が津波で軒並み壊滅。東北で使われる飼料の3割超を生産していた一大供給地が崩壊したからだ。飼料不足に陥った肥育農家は肉質への影響、築いてきたブランド力の低下を懸念し、支援を訴える。
宮城県栗原市若柳で、銘柄牛の「若柳牛」を肥育する菅原文男さん(56)が、約40頭に餌を与えていた。トウモロコシ、大麦、ぬか…。良質の肉をつくるため、若柳地区の肥育農家が研究を重ね、開発した特別な飼料だ。
「この餌も残り少ない。再び手に入れるまでには、かなりの日数がかかるだろう」。菅原さんの表情はさえない。
長年、石巻市の飼料工場に配合を依頼してきた。その飼料の入荷は震災後、途絶えた。飼料の入荷に関する情報も入らず「肥育農家は不安で仕方ない」と言う。
震災直後は、わらを多めに交ぜ、残っていた飼料を少しずつ与えるほかなかった。1回の量も通常の6割に抑えた。牛は餌箱をなめ尽くすように食べた。
3月下旬にようやく東北以外で生産された飼料が流通し始め、菅原さんの牛舎にも届いた。牛への給餌量自体は震災前の9割にまで回復。取りあえずは一安心だが、不安が完全に解消されたわけではない。
配合比率が以前と異なる飼料でかさを増しているため「肉質にも影響が出るだろう」と菅原さんは懸念する。飼料の不足や違いによる家畜の品質低下は、簡単には回復できない。「肉質は牛の様子を見ても確かめられない。分かるのは枝肉になった時だ」
菅原さんに届けられた飼料は全て、成長した肥育牛用だった。子牛用のストックが少ないため、やむを得ず子牛にも与えている。
「子牛に肥育用を与えるとロースが小さくなったり、病気がちになったりする」と菅原さん。「まずは牛の命をつなぐことが大事。ぜいたくは言えない」と自らを納得させる。
漢方草を食べさせて飼育した「新生漢方牛」を出荷している栗原市築館の関村畜産も、綱渡りのやり繰りを強いられた。
出荷間近の肉牛に飼料を優先して与え、その分、繁殖用牛の餌を通常の2割まで減らした。
牛舎には、やせ細って背骨の浮き出た牛が並ぶ。代表の関村清幸さん(58)は「早産した牛がいた。餌が少ないためのストレスだったのだろうか。腹いっぱい食べさせられないのは、畜産農家にとって苦痛だ」と悔やむ。
4月に入り、必要量は確保されつつあるが、関村さんは「苦しんでいる畜産農家は多い。国は支援を考えてほしい」と訴える。
宮城県は、家畜の死亡など震災による畜産被害を約22億円と試算する。飼料の供給停滞による間接的な影響は、含まれていない。
東北農政局は「民民契約の問題で、国に補償義務は生じない」との立場を示す。県も「今後の国との交渉課題」と言葉少なだ。(田村賢心)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板