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応用栄養学特論

764小説吉田学校読者:2008/06/01(日) 08:56:15
軍隊的なのはどこも一緒であります。「軍隊的」が批判されるポイントではない。
「カネ・モノ優先」。なんで「味・客優先」にならなかったのか。
余談ながら、産経新聞も「軍艦マーチ」じゃなくて「軍艦行進曲」ってなぜ書かないのか。校正マンは何をやっている。曲自体は名曲なんだから。瀬戸口藤吉が草葉の陰で泣いているぞ。右派・保守の「産経新聞」という暖簾に胡坐をかいている。

【老舗のおごり(上)】暮れに鳴り響く軍艦マーチ
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080528/crm0805282218046-n1.htm

 暮れも押し迫った12月29日深夜、船場吉兆本店の大座敷は、異様な雰囲気に包まれていた。大音量の有線放送が夜気を震わせる。それも高級料亭にはそぐわない音楽。パチンコ店でおなじみの「軍艦マーチ」だ。
 客はいない。調理用の白衣を着た従業員が一心不乱に盛り付けにあたる。「さっさとやれ」「間に合わんぞ」。社長の湯木正徳(74)が怒鳴り声を上げる。壁一面に教訓を大書きした半紙が掲げられていた。
 「船場吉兆の未来はこの年末商戦にあり。全員総力を結集して勝利の杯を重ねよう」
 毎年、大みそかまで行われる社員総出のおせち作りの風景だ。売り上げの多くを占める物販部門の中でもおせちは主力中の主力。船場は限界を超える注文を受け、ぶっ通しの徹夜作業で帳尻を合わせていたという。
 元従業員が振り返る。「眠らさないための軍艦マーチ。まさに軍隊だった」
 人よりカネとモノが最優先−。それが船場吉兆の経営方針だったと、元調理人が打ち明ける。
 たとえば店で使う食器類。確かに高級品ばかりだったが、どれも独立前の支店時代から20〜30年は使い古した「年代物」。塗りがはげた器も多かった。
 元調理人はそれがどうにも情けなかった。「上司を通じて新品を買うよう主人(正徳)に進言したが、相手にされなかった」という。仕方ないと自分に言い聞かせ、縁がはげた黒い盆を油性マジックでそっと塗り直した。一度や二度ではない。そして−。
 「そのうちマジックで塗った器を出すことに、何の抵抗も覚えなくなった」
 文化功労者、故湯木貞一が創業した「吉兆」から平成3年に独立。バブル崩壊で各地の高級料亭が経営危機に直面する中、船場吉兆はおせちや明太子をはじめとする物販中心の事業展開で業績を伸ばした。
 「料理屋と屏風(びょうぶ)は、広げすぎると倒れる」と、貞一は多角経営に批判的だったという。だが、貞一に料理の腕を認められ、独立当初から社長に就任した正徳の考えは違った。
 7年に心斎橋店を開業した後は、悲願だった出身地・九州での事業拡大に走る。貞一が亡くなった後の11年、福岡市の商業施設に博多店をオープンさせたのを皮切りに、菓子や総菜専門のフードパークも構え、多角化路線を突き進んだ。
 ベテラン従業員によると、「船場の経営がおかしくなったのは、博多店開業の時期からだった」という。金融機関に多額の借り入れをするなど無理を重ねた出店だった。このころ、従業員への説明なしに、給与が一部カットされたこともあったようだ。
 「倹約」に始まった船場の経営体質はやがて、期限切れ商品のラベル改竄(かいざん)や、食べ残しの使い回しすら問題視しない、行き過ぎた営利主義へつながっていく。のれんの裏側では「使えるものはすべて使う」という食品衛生の非常識がまかり通るように。それらが露呈した結果、船場吉兆は廃業を選択するしかなかった。


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