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応用栄養学特論
641
:
小説吉田学校読者
:2007/06/09(土) 20:14:25
いかにもアメリカ。ビバアメリカ。アメリカバンザイ、ハリウッドバンザイ。ビバビバビバ。
これでも「ワッパー」、ジャパニーズサイズなんだそうだ。
6年前撤退のバーガーキングが再上陸 再起に挑む
http://www.asahi.com/life/update/0609/TKY200706090193.html
直火焼きの肉を使った直径13センチの大型ハンバーガー「ワッパー」が売りの米バーガーキングが、6年ぶりに日本に帰って来た。バーガーキング・ジャパンの社長に就いたのは笠真一さん(54)。元日本マクドナルド役員という経歴の持ち主だ。8日の新店オープン日には、開店前から約700人が列を作った。笠さんは、ハンバーガー業界に身をおいて30年超。酸いも甘いも知り尽くした笠さんが一度は撤退を余儀なくされたハンバーガーチェーンの再起に挑む。
ハンバーガーとの付き合いは長いが、出会いは偶然だった。76年、大学卒業を控えて何げなく就職雑誌をめくっていたところ、日本マクドナルドの社員募集が目にとまった。「給料が一番よかったから」。銀行員だった父(76)は「大学を出てパン屋はないやろ」。地元大阪ではハンバーガーを知らない人もいた時代だった。
入社してから営業、店長など、現場を走り回った。好景気に沸いた80年代。ハンバーガーは飛ぶように売れ、店舗数は500を超えた。
89年、米国カリフォルニア州サンタクララにある店舗に就いた。店の向かいにあったのがバーガーキングだった。食べてみた。「こりゃ、うまい」。肉の香ばしさが、笠さんの頭に残った。
マクドナルドを辞めたのは05年3月。上級執行役員営業推進本部長まで上り詰めたが、「経営の方向性の違い」が理由という。別のハンバーガーチェーンに移った。「再生請負人」として臨んだが、立て直しは思うようにいかず1年ほどで辞めた。
「もう足を洗おうか」と考えていた矢先、再び声がかかった。バーガーキングだった。世界65カ国以上で1万1100店舗以上を展開する大手。日本では93年から01年まで東京を中心に展開したが、当時はマクドナルドが平日65円でハンバーガーを売り出すなど低価格競争が激しく、対応しきれずに撤退した。
今回の出店は、米バーガーキング側の海外戦略の一環として、日本市場に働きかける形で実現した。再起にかける思いは強く、テリヤキワッパーなど日本限定メニューの販売も承認したという。
笠さんの頭に、鉄板ではなく直火で焼いた肉の香りがよみがえった。開店準備に追われながら、試食を繰り返した。肉の微妙な焼き加減や保存状態を確かめるため、多い時は1日半で47個のワッパーを平らげた。
8日、東京都新宿区西新宿6丁目の「新宿アイランドタワー」地下1階に1号店がオープン。昼食時には約1時間半待ちという盛況ぶりだった。傍らで見守った笠さんは、「ワッパーの潜在的な支持者がこんなにいるとは」。
今は、マクドナルドで一緒に汗を流したアルバイトらから届く励ましのメールが励みだ。「早く大阪にも出店してくださいね」
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