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応用栄養学特論

631小説吉田学校読者:2007/05/20(日) 08:39:30
うちの祖母ちゃんは、「煮干」+「菜っ葉」のすいとんを私に土曜の昼食としてよく出していましたが、激マズでした。
すいとんは祖母ちゃんの記憶に重なる。私と同じ。

そして、この記憶は独占!女の60分の記憶に重なる。あのワクワクした土曜の午後はもう戻らないのだろうか。ゆとり教育対策には学校に半ドン復活ですぜ。

お品書き 「すいとん」目黒祐樹さん
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20070514gr0a.htm

祖母がくれた愛の象徴
 東京・赤羽にあった実家で、母方の祖母、のぶさんが作ってくれたすいとんの味が、物心ついたばかりのころの記憶として今でも残っている。
 練った小麦粉を不ぞろいにちぎり、汁が煮えたぎる鍋に放り込む。「ほかに見えた具はネギと油揚げだけ。でも一度に何食分も作るので、時間がたつと、具がどろどろに煮込まれ味がしみこむのがたまらなくてね」。おわんの底が見えるまで夢中ですすった。
 父は時代劇俳優の近衛十四郎さん、母も女優。当時は戦後間もないころで、仕事に困った両親は一座を組んで地方巡業し、ほとんど家を空けていた。
 家に残された自分の面倒を見てくれたのが、のぶさんだった。二人兄弟で、正月にミカンが食べたいとねだると、5歳年上の兄(俳優の松方弘樹さん)に「ダメだ」と怒られた。それほど貧しい生活だった。「すいとんも正直、粗末なものだったのに、あんなにうまかったのはなぜ?」とずっと思っていた。
 16歳の時から4年半、アメリカに留学した。「兄も俳優になっちゃったもんだから、それに反発しようとしたんでしょう。おれは外交官になってやるなんて思ってね」
 独りぼっちの生活の中、のぶさんから手紙が寄せられた。「がんばって、がんばって」と書かれていた。
 かつて、のぶさんは小学校の授業参観や運動会にも来てくれた。お小遣いがない代わりに、特別に街頭の紙芝居を見せてくれたこともあった。のぶさんに甘えられた幼年時代を異国で思い出し、「おばあちゃんのすいとん」を自分で作ってみたら元気が出た。
 途中から演劇の勉強を始めた。現地で見た日本映画に魅了されたからだ。そして帰国して間もなく、俳優になる決意を固めた。だが、のぶさんは、孫のデビューを見届けて間もなく、亡くなった。
 いつも不在の両親が地方巡業から久しぶりに帰ってきて、家族みんなが食卓を囲んだ時、のぶさんは必ず、「かんぱーい」と言ったそうだ。
 「ふだんよりおかずが1品多くて、大人はビールで、子どもたちはサイダーで乾杯する。だから『乾杯ばあちゃん』って呼ばれていました。でも、そんな時は、メニューに、すいとんがないのが僕には残念だった。そういう席にはふさわしくないのかなあと子ども心に思ったものです」
 振り返れば、のぶさんのすいとんの味は、家族がバラバラで寂しかった自分に注がれた「愛情の象徴」だったのではないかと思う。本当は、みんなで一緒の方がずっと幸せなのだとのぶさんは思っていたらしい。そういう時は、すいとんは必要なかったのだ。
 最近も居酒屋などで、具だくさんのすいとんを食べることがある。だが、「やっぱり、おばあちゃんの味とは違う」。それは今の自分が結構、幸せだからなのかもしれない。(鳥越恭)


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