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応用栄養学特論
622
:
小説吉田学校読者
:2007/04/20(金) 21:40:14
鍋焼きうどんには「卵」でも「ゆで卵」でもなく「生卵」なのである。アレは絶対に「生」でなければならぬ。ついでに言えば、エビでもイカでも天ぷらはふやけてなければならぬ。後乗せさくさくなどもっての外。
生がだんだん半熟になっていくのを楽しむ。ということで、この読売記者はよく分かっている。
お品書き 「鍋焼きうどん」 三沢あけみさん
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20070416gr01.htm
小鍋のふたを開けると、湯気が立ち上る。熱々のつゆの中に、かまぼこやシイタケ、生卵……。さらにエビの天ぷらが入っていると最高だ。
「舞台に立つ前に食べると、いい声が出るんですよ。のどが温まるからかしら」
鍋焼きうどんが好きになったのは14歳の時。女優としてテレビの時代劇などに出演し始めたころだ。東京にいる父親らと離れ、撮影所のある京都に母親と移り住んだ。そのころの楽しみが、月2〜3回、楽屋で食べる出前の鍋焼きうどん。東京育ちには薄味だったが、角もちが入り、上品な感じがした。
あこがれの世界とはいえ、撮影所生活は厳しかった。年上の人に囲まれ、朝早くから夜遅くまで撮影のため拘束される毎日。さらに、役柄に恵まれず、土下座をする自分のお尻のアップで幕を閉じる作品もあった。
「いつも緊張を強いられる生活の中で、具だくさんの鍋焼きうどんを食べる時だけは、ほっとできました」
転機が訪れたのは、4年後の1963年。舞台であいさつ代わりに歌った歌が注目され、歌手としてデビューした。その年に発売した「島のブルース」は大ヒット。NHKの紅白歌合戦にも出場した。
全国各地を公演するようになっても、楽屋で食べるのは、出前の鍋焼きうどんと決めていた。みそ味だったり、器が鉄鍋だったりと、地域の特色が感じられ、楽しかったからだ。
とはいえ、楽屋には客が次々とやってきて、熱々のまま食べられないことも多かった。
「鍋焼きうどんは、時間がたっても冷めにくいのがいい。うどんにおつゆが染み込んでおいしかった。旅の疲れも吹き飛びました」
売れっ子になったものの、睡眠時間は平均3〜4時間の生活が続き、やがて、忙しさから逃げ出すように25歳で結婚したが、8年後に離婚。
歌手としての復活をかけ、歌うことになったのは「わかれ酒」。忠実に歌えば暗くなってしまうが、あえてさらっと明るく歌ったほうがいいと、この歌の作曲者で、恩師と慕う渡久地政信さんから指導された。しかし、心身共に疲れ切っていたこともあり、うまく歌えない。悩んでいると、渡久地さんから「世の中にはあけみちゃんと同じ境遇の人がたくさんいる。落ち込んでいたら、聴いた人たちが頑張れないでしょ」と言われた。
仕事から帰ると、当時一緒に暮らしていた姉が、「妹の好物を」と近所のそば店にわざわざ小鍋を持っていき、鍋焼きうどんを買ってきてくれた。
「熱々で、エビの天ぷらは鍋からはみ出さんばかり。周囲の人に支えられているんだと思うと、温かい気持ちになり、もう一回やってみようと元気がわいてきました」。「わかれ酒」はヒットし、復活を遂げた。
今年は歌手デビュー45年。最近は、コンビニの冷凍鍋焼きうどんをよく食べる。「50年近く、節目節目で私を元気にしてくれた。もう一度紅白歌合戦に出られるように頑張りたい」(岡安大地)
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