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応用栄養学特論

590小説吉田学校読者:2007/01/17(水) 21:21:15
もう1つついでに、読売「お品書き」から。相変わらず最後の一文は蛇足であり、武士の情け、署名記事とはいえ記者名まではコピーしないが、日刊スポーツ梅田記者が書けばいいんだこういうのは。
小堺一機の父、伝説の「南極の流しソーメン」。

「流しソウメン」 小堺一機さん
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/food/shinagaki/20061204gr09.htm

 1997年にテレビ番組の企画で、父・秀男さん(78)と一緒に南極大陸に行った。
 その時、父が作った「流しソウメン」の味が忘れられない。
 文字通り、氷上に流すソウメン。氷の斜面に雨どいぐらいの溝を5メートルほど掘り、そこにゆでたてをお湯ごと流す。流れる間に、めんはキリッと冷えた。しょうゆにみりん、白ワインなど、あり合わせの材料でつゆを作り、長ネギが無かったので薬味は玉ネギで代用した。
 「極上の材料を使ったわけでもない、何でもないソウメンでした。なのに、何とも言えずうまかった」
 冷たい空気と青い空、真っ白な氷――。そんな特別な環境のおかげ? 「というよりも、傍らで黙って食べていた父の存在が“薬味”になっていたと思う」。誰と、どんな時に食べるかが食の記憶になる、とその時感じた。「おいしさって何だろうと、考えさせられました」
 板前だった父は若いころ、調理担当として南極観測隊に2度参加したことがある。極限の地で、限られた食材から、いかに豊かな食を作り出すか。試行錯誤の中で考えついた氷上流しソウメン。だがその時は、気まぐれな天候に阻まれ失敗。
 「流した瞬間にソウメンは強風に見舞われて斜面に張り付いてしまい、『はがしソウメン』だったと。後で聞いて僕らは大笑いしたけど、父は悔しかったみたいですねぇ」
 東京・目白や浅草などを移りながら、店を切り盛りしていた父は、板さん、おやじさんと呼ばれて慕われていた。息子や家族に対してはよく怒る「怖いおやじ」だったが、どこかにユーモアがあった。「父が母に『出てけ!』と言うと、母が『どこから?』って切り返して。面白かったですね」
 家にもよく客があり、「僕を子どもじゃなく、対等に扱ってくれる大人たちでした」。おしゃべり好きな少年は、そんな大人たちとの関係の中から、巧みな話術を身に着けていった。
 大学在学中に、素人コメディアンの番組でチャンピオンになったのがきっかけで芸能界に。当時、父は「水商売」と怒って口をきいてくれなくなった。「3年だけやらせて、という約束が、ありがたいことに今に続いて」。時にアドリブを交え、機知に富んだ話術ですっかり「お茶の間の顔」になり、昼の番組は20年以上続く。
 わだかまりがとけ、親子そろって行った南極大陸で、ついに成功した流しソウメン。あれから10年近くたつが、実はその時以来、ソウメンを食べていないという。
 「あれよりおいしいのはないだろうと思って」
 シンプルな中に本当の滋味が潜んでいるのだろうか。にこやかな表情には、そんな味わいがにじみ出ている。


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