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応用栄養学特論

1911とはずがたり:2017/12/06(水) 13:02:48
清算後はどういう体制でやってたのか?太田氏は当時はどんな役職だったのか,纏めがクソだな。。

清算された「ハブ」が、過去最高を更新している秘密
https://www.excite.co.jp/News/economy_clm/20171206/Itmedia_business_20171206022.html
ITmedia ビジネスオンライン 2017年12月6日 08時00分 (2017年12月6日 10時31分 更新)

 英国パブをモデルにした「HUB」「82ALE HOUSE」を展開しているハブが元気である。2017年2月期の売上高は過去最高(前期比7%増の102億円)、18期連続で増収だ。

 「HUBの看板は見たことがあるけれど、利用したことがないなあ」という人に、簡単にご紹介しよう。ハブはダイエーが絶好調だった1980年に誕生。ダイエーの創業者、中内功さんが英国のパブを体験したことがきっかけで、当時の日本では珍しかった「キャッシュオンデリバリー(注文ごとに代金を支払う)」を導入。良いモノをどんどん安くすることをウリにしていたので、週刊誌が1部180円だったころに、生ビールを1杯180円で提供する。ちなみに、現在は360円。『週刊新潮』(400円)、『週刊文春』(420円)よりも安く飲むことができる。

 カウンターでドリンクとおつまみを注文して、気の合った仲間と会話を楽しむことができる。しかも低価格で。それまでの日本にはなかったスタイルの店だったので、設立時に10年で1000店の目標をぶちあげる。「ダイエーの売上高が1兆円を超えて、一番勢いがあるときだったので、実現できると思っていた」(ハブの関係者)

 1号店は神戸の三宮に出店。その後、外国人の多い六本木、若者の多い渋谷などではウケたものの、地方の店舗は苦戦を強いられる。業績は伸び悩み、86年に清算。多くの飲食店は「ここで終わり」……のはず。しかし、同社は違った。「ハブ」の屋号を残し、その後、順調に売り上げを伸ばし、02年以降は業績不振による退店がないのだ。

 一度は死んだはずなのに、なぜハブは蘇ったのか。その理由について、同社の太田剛社長に聞いた。聞き手は、ITmedia ビジネスオンラインの土肥義則。

●「ハブ」の屋号は残して、細々と営業

土肥: ハブは1980年に創業して、神戸の三宮にオープンしました。当時の状況を教えてください。

太田: ダイエー創業者の中内さんは英国に行って、現地のパブに足を運びました。そして「英国のパブを日本でも広めよう」となって、三宮に1号店をオープンしました。2号店は六本木。その後、渋谷にも出店して、いずれも繁盛していたのですが、地方の札幌、沖縄、平塚などは苦戦していました。 … 無謀な出店戦略などがたたって、1986年に事業を清算しました。会社として拡大するのは難しいかもしれないが、パブ事業は残そうと。「ハブ」の屋号は残して、細々と営業を続けてきました。

土肥: 日本のあちこちに店舗をつくったことのほかに、うまくいかなかった要因はどのように分析していますか?

太田: カウンターでドリンクとおつまみを注文をする。そして、自分でドリンクを運ぶ「キャッシュオンデリバリー」を普及させようと思っていたのですが、なかなか受け入れてもらえませんでした。… こうした声を受けて、一部の店を変えてみることに。…結果、どのようになったと思いますか。「洋風居酒屋」のような形になったんですよね。

 このほかにも収益を上げるために、さまざまな手を打ちました。例えば、カラオケがブームになれば店内にカラオケの部屋をつくったり、他社で昼にアルコールを出す店が好調であれば朝も昼も営業したり。事業の軸がブレにブレながらも、なんとかギリギリの収益をあげながら運営していました。


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