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応用栄養学特論

1867とはずがたり:2017/08/23(水) 18:02:45
2017年03月29日 08時03分 公開
水曜インタビュー劇場(変わらない公演):
売り場を減らしたのに、なぜ崎陽軒のシウマイはバカ売れしているのか
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1703/29/news015.html

東京や新横浜で新幹線に乗ると、車内でビールを飲みながら「シウマイ」を食べているサラリーマンをよく目にする。崎陽軒の「シウマイ弁当」だ。駅弁市場は縮小しているのに、なぜシウマイ弁当は売れているのか。その理由を、同社の担当者に聞いたところ……。
[土肥義則,ITmedia]

 東京や新横浜で新幹線に乗ると、車内でビールを飲みながら「シウマイ」を食べているサラリーマンをよく目にする。崎陽軒の「シウマイ弁当」だ。

 出張帰りの楽しみのひとつに「駅弁」がある。例えば、仙台駅では「牛たん弁当」、広島駅では「あなごめし」を想像する人が多いかもしれないが、首都圏で最もよく売れている駅弁といえば「シウマイ弁当」である。

 「『シウマイ弁当』なんて食べたことないなあ」という人もいると思うので、簡単にご紹介しよう。横浜名物シウマイの妹分として、弁当は1954年(昭和29年)に登場。折箱の中にはシウマイが5つのほかに、マグロの照り焼、かまぼこ、鶏の唐揚げ、玉子焼き、タケノコ煮、あんず、切り昆布&千切りショウガ、ご飯が入っていて、価格は830円(税込)。他の弁当で食べることができない食材が入っているわけでもないのに、1日に約2万1000食売れていて、いまだに出荷数が伸び続けているのだ。

 驚くのはまだ早い。駅弁市場は縮小しているのに、崎陽軒の売上高は過去最高を記録しているのだ。2015年度は220億8199万円、2016年度も過去最高を更新する見通しだという。さらにさらに。売り場を減らしてきたのにもかかわらず、売り上げはぐんぐん伸びているのだ。

 崎陽軒のシウマイはなぜ多くの人に愛されているのか。その秘密を探るために、同社で広報・マーケティングを担当している金田祐輔さんに話を聞いた。聞き手は、ITmedia ビジネスオンライン編集部の土肥義則。

駅弁を売るのに「横浜駅」は不利

なぜ横浜駅で「シウマイ」が誕生したのか
土肥: 崎陽軒が創業したのは1908年(明治41年)。その年の出来事を調べてみると、移民に関する日米紳士協定が成立したり、ブラジルへの初の移民船が神戸から出航したり、フォードT型が発売したり。110年ほど前に、どんな商売を始めたのでしょうか?

金田: 横浜駅(現在のJR桜木町駅)構内に売店を開いて、そこで雑貨のほかに、寿司、餅、牛乳、サイダーなどを販売していました。

土肥: 当初、駅弁は売っていなかったのですか?

金田: はい。1915年(大正4年)に、現在の場所に横浜駅が移転したのに伴って、野並茂吉が支配人に就任しました(後に初代社長)。そのころはいわゆる“幕の内弁当”を販売していたのですが、焦りを感じていました。当時、小田原のカマボコ、静岡のワサビ漬など、大きな駅には名物となる食べ物がありましたが、横浜駅にはありませんでした。また、横浜駅の立地は不利だったんですよね。

土肥: どういうことですか?…

金田: 駅弁を売るのに不利な場所だったんですよね。東京発の乗客はまだお腹が空いていない。または東京駅で購入している。一方、東京に向かう乗客は駅弁を食べる時間がない。そんな状況の中で、どのようにすれば駅弁が売れるのか。そこで初代社長は、当時の南京町(現在の中華街)を歩いて、シウマイに目をつけました。列車の中で手軽に食べることができるのでうってつけの商品だったわけですが、冷えたシウマイはあまりおいしくありませんよね。駅弁で売り出すためには、冷めてもおいしいシウマイをつくる必要がありました。

 南京町から職人をスカウトして、試作品づくりが始まりました。開始から約1年、豚肉に干しホタテ貝柱を混ぜ合わせることで、味に深みが増して冷めてもおいしさを持続することが分かってきました。また、揺れる列車の中で食べる状況を考え、女性でもこぼさずに食べることができるようにひとくちサイズにしました。そうして、1928年(昭和3年)に「シウマイ」を発売しました。


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